いる背広が何時も同じ顔ぶれなのでよかったが、遠くから別な顔が立っている時には、自分は歩調をゆっくりにし、帽子の向きを直し、近付く前に自分の知っている顔であるかどうかを確かめる。この第一関門がパッスすると、今度は門衛の御検閲だ。然しそこはビラを持って入るものがこれに引ッ掛からないようにすることだった。太田はそれには女のメンバーを使っていた。太田によると「成るべく女のお臍《へそ》から下の方へ入れると安全だ」った。彼奴等はまだそこを調らべるほどには恥知らずになってはいないらしい。
 次の朝、衣服箱を開けると、ビラが入っている! 波のような感情が瞬間サッと身体を突走ってゆく。職場に入って行くと、隣りの女がビラを読んでいた。小学生のように一字一字を拾って、分らない字の所にくると頭に小指を入れて掻《か》いていた。私を見ると、
「これ本当!」
と訊《き》いた。十円のことを云っているのだ。
 私は、本当も本当、大本当だろうといった。女は、すると、
「糞《くそ》いま/\しいわネ。」
と云った。
 工場では私は「それらしい人間」として浮き上がっている。私はビラの入る入らないに拘《かかわ》らず、みんなが会社のことを色々としゃべり合っている事についてはその大小を問わず、何時でも積極的に口を入れ、正しいハッキリした方向へそれを持ってゆくことに心掛けていた。何か事件があったときに、何時でも自分達の先頭に立ってくれる人であるという風な信頼は普段からかち[#「かち」に傍点]得て置かなければならないのである。その意味で大衆の先頭に立ち、我々の側に多くの労働者を「大衆的に[#「大衆的に」に傍点]」獲得しなければならぬ。以前、工場内ではコッソリと、一人々々を仲間に入れて来るようなセクト主義的な方法が行われていたが、その後の実践で、そんな遣《や》り方では運動を何時迄《いつまで》も大衆化することが不可能であることが分ったのである。
 仕事まで時間が少し空《あ》いていたので、台に固って話し合っている皆の所へ出掛けようとしていると、オヤジがやって来た。
「ビラを持っているものは出してくれ!」
 みんなは無意識にビラを隠した。
「隠すと、かえって為《た》めにならないよ。」
 オヤジは私の隣りの女に、
「お前、さ、出しな。」
と云った。女は素直《すなお》に帯の間からビラを出した。
「こんな危いものをそんなに大切に持ってる奴があるか!」と、オヤジが苦笑した。
「でも、会社は随分ヒドイことをしてるんだね、おじさん!」
「それだ――それだからビラが悪いって云うんだよ!」
「そう? じゃやめる時、本当に十円出すの?」
オヤジは詰って、
「そんなこと知るもんか。会社に聞いてみろ!」
と云った。
「何時《いつ》かおじさんだってそう云ってたんじゃないの! あ、矢張りビラのこと本当なんだ!」
 女のその言葉で、職場のものはみんな笑い出した。
「よオ/\、しっかり!」
 誰かそんなことを云った。
 オヤジは急に真ッ赤になり、せわしく鼻をこすり、吃《ども》ったまゝカン/\に出て行った。――それで私たち第三分室は大声をあげた。事は小さかったが、そのためにオヤジの奴め他のものからビラを取り上げるのを忘れて出ていってしまった。
 その日、仕事が始まってから一時間もしないとき、私は太田が工場からやら[#「やら」に傍点]れて行ったという事を聞いた。ビラを持って入ったことが分ったらしい。

 太田は――何より私のアジトを知っている!
 彼は前に、事があったら三日間だけは頑張ると云っていた。三日間とは何処《どこ》から割り出したんだいと訊くと、みんながそう云っていると云った。その頃「三日間」というのが何故か一つのきまりのようになっていた。私はその時引き続き冗談を云い合ったが、フト太田の何処かに弱さを感じたことを覚えている。太田が捕まったと聞いたとき、私の頭にきた第一のことはこの事だった。
 私の知っている或《あ》る同志は、自分と同居していたものが捕ったにも拘らず、平気でそのアジトに寝起していた。私や他のものは直ぐ引き移らなければ駄目だと云った。するとその同志は奇妙な顔をした。案に違わず五日目にアジトを襲われた。その時同志は窓から飛んだ。飛びは飛んだが足を挫《くじ》いてしまった。彼は途中逃げられないように真裸にされて連れて行かれた。彼が警察の留置場に入って、前にやられた仲間を一眼見ると、「馬鹿野郎! だらしのない奴だ!」と怒鳴りつけた。ところがその仲間は、逆に自分がやられているのにのんべんだらりと逃げもしない「だらしのない奴」だと思い、相手にそう云おうと思っていたというのである。後でその同志が出てきたとき、私たちは、だから云わない事じゃ無かったんだ、分っていて捕まるなんて統制上の問題だぞと云った。すると彼は、あいつ[#「あいつ」に傍点]《前に捕まった仲間》がしゃべったからだ、一体一言でも彼奴等《きゃつら》の前でしゃべるなんて「君、統制上の問題だぜ!」と云いかえした。事実その同志は取調べに対しては一言もしゃべらなかった。その同志にとってはしゃべるという事は始めから考え得られないことだったし従って[#「従って」に傍点]他のものもしゃべるなどとは考えもしなかったので、「のんべんだらり」とアジトにいたのだ。私はこの時誰よりも一番痛いところをつかれたと感じた。アジトを逃げろと云ったのは、自分が[#「自分が」に傍点]若《も》し捕まったら三日か四日目にアジトを吐くという、敗北主義を自認していることになる。だが、これはおよそボルシェヴィキとは無縁な態度である。これはABCだ。その後私たちはその同志の態度を尺度とする規約を自分自身に義務づけることにした。が今あの頼りない太田を前にしては、私はこの良き意味での「のんべんだらり」をアジトで極め込んでいるわけには行かぬ。私は即刻下宿を引き移らなければならなかった。
 それにしても、私は矢張りアジトは誰にも知らせない方がよかった。嘗《か》つて、私たちの優れた同志が「七人」もの人に自分の家を知らせ、出入りさせていた。その中には同志ばかりか単なる「シンパ」さえいた。そのためにその優れた同志はアジトを襲われた。――そんな例がある。私たちは世界一の完備を誇っている警察網の追及のなかで仕事を行っていることを何時でも念頭に置かなければならぬ。
 たゞ良かったことは、須山と伊藤ヨシのことを太田が知っていなかったことだ。私は仕事をうまく運ぶために彼に、二人が我々の信用していい仲間であることを知らせようと思ったことがあった。然《しか》しその時自分は後のことを考え、やめたのである。一つは弾圧の波及を一定限度で防ぐためであり、他は単に誰々がメンバーであるという慣れあいによって仕事をして行こうとする危険な便宜主義に気付いたからだった。
 工場の帰りに私は須山と伊藤ヨシと一緒になり、緊急に「しるこ屋」で相談した。その結果、私は直ちに(今夜のうちに)下宿を移ること、工場は様子がハッキリする迄休むこと、残った同志との連絡をヨリ緊密にし、二段三段の構えをとることに決まった。「今日はまだ大丈夫だろう」とか、「まさか[#「まさか」に傍点]そんな事はあるまい」というので今迄に失敗した沢山の同志がある。以上の三つの事項は「工場細胞」の決定[#「決定」に傍点]として私が必ず実行することに申し合わせた。そして伊藤と須山は貰《もら》って来たばかりの日給から須山は八十銭、伊藤は五十銭私のために出してくれた。
 須山は何時もの彼の癖で、何を考えたのか神田伯山の話を知っているかと私に訊いた。私は笑って、又始まったなと云った。彼の話によると、神田伯山は何時でも腹巻きに現金で百円はどんな事があろうと手つかずに(死ぬ迄)持っていたというのである。それは彼が、人間は何時どんな処で災難に打ち当らないものとは限らない、その時金を持っていないばかりに男として飛んでもない恥を受けたら大変だと考えていたからだそうである。
「同じことだ、金が無くて充分の身動きが出来ないために捕まったとなれば、それは階級的裏切だからな!」
 そう云って、彼は「我々は彼等の[#「彼等の」に傍点]経験からも教訓を引き出すことを学ばなくてはならないんだ」と、つけ加えた。私と伊藤は、そういうことを色々と知っている須山の頭は「スクラップ・ブック(切抜帖)」みたいだというので笑った。

 私は実にウカツに私の下宿に入る小路の角を曲がった。だが本当はウカツでもなんでもなかったのだろう。私は第一こんなに早く太田が私の家《アド》を吐こうなどとは考えもだに及ばなかったからである。私はギョッとして立ちすくんだ。二階の私の室には電燈がついている! そしてその室には少なくとも一人以上の人の気配のあることが直感として来た。張り込まれていることは疑うべくもなかった。だが、室の中には色々と持ち出したいものがある。次の日から直ぐ差支えるものさえあった。――私は然しこの「だが[#「だが」に傍点]」がいけないと、直ぐ思いかえした。
 私には今直《す》ぐと云えば、行く処はなかった。今迄の転々とした生活で、知り合いの家という家は殆《ほと》んど使い尽してしまっていたし、そういう処は最早二度の役には立たなかった。私はまず何よりこの地域を離れる必要があるので、電車路に出ると、四囲を注意してから円タクを拾った。別に当ての無い処だったが、
「S町まで二十銭。」
と云った。
 その時フト気付いたのだが、私は工場からの帰りそのまゝだったので、およそ円タクには不調和な服装をしていた。――私は円タクの中で考えてみた。が、矢張り見当がつかない。私は焦《あせ》り、イラ/\した。ただ、私には今迄一二度逃げ場所の交渉をして貰った女がいた。その女は私が頼むと必ずそれをやってくれた。女はある商店《みせや》の三階に間借りして、小さい商会に勤めていた。左翼の運動に好意は持っていたが別に自分では積極的にやっているわけではなかった。女の住所は知っていたが、女一人のところへ訪ねていくのも変であったので、私は今迄用事の時は商会に電話をかけて、それで済ましていた。が私には今その女しか残されていない、そんなことを考慮してはいられなかった。――私はS町で円タクを捨てると、覚悟を決め、市電に乗った。
 成るべく隅の方へ腰を下して、膝の上に両手を置いた。それから気付かれないように電車の中を一通り見渡してみた。幸いにも「変な奴」はいない。私の隣りでは銀行員らしい洋服が「東京朝日」を読んでいた。見ると、その第二面の中段に「倉田工業の赤い分子検挙」という見出しのあるのに気付いた。何べんも眼をやったが、本文は読めなかった。――それにしても、電車というものののろさ[#「のろさ」に傍点]を私は初めて感じた。それは居ても立ってもいられない気持だ。
 用心のために停留所を二つ手前で降り、小路に入って二三度折れ曲がり、女のところへ行った。初めてではありそれに小路に入ったりしたので少し迷った。店先にはお爺《じい》さんが膏薬《こうやく》の貼《は》った肩を出して、そこを自分の手でたゝいていた。上の笠原さんがいますか、と訊《き》くと、私の顔を見て黙っている。二度目に少し大きな声を出した。すると、障子のはまった茶の間の方を向いて何か分からないことを云った。誰か腰の硝子からこっちを覗《のぞ》いた。
「さア、出て行きましたよ」
 内《うち》でうさん臭く云った。
 私は、ハタと困ってしまった。何時《いつ》頃かえるのでしょうかと訊くと、そんな事は分らんと云う。私の人相《身装》を見ているなと思った。どうにも出来ず、私はそこに立っていた。然し仕様がなかった。私は九時頃に又訪ねてみると云って外へ出た。出てから三階を見上げると、電燈が消えている。私は急にがっかりした。
 夜店のある通りに出て本を読んでみたり、インチキ碁の前に立ってみたり、それから喫茶店に入って、二時間という時間をようやくつぶして戻ってきた。角を曲がると、三階の窓が明るくなっていた。
 私は笠原に簡単に事情を話して、何処《どこ》か
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