が段々近くなっていることが分るな!」
と須山が云った。
「そうだよ、彼奴等に勝つためには科学的に正しい方針と、そいつをどんな事があっても最後まで貫徹するという決意性があるだけだ。ファシスト連が動き出したとすれば、俺たち生命がけだぜ!」
私がそう云うと。
「我々にとって、工場は城塞《じょうさい》でなくて、これア戦場だ!」
と、須山は笑った。
「それは誰からの切抜《スクラップ》だ?」
「オレ自身のさ!」
――その後「地方のオル[#「オル」に傍点]」(党地方委員会の組織部会)に出ると、官営のN軍器工場ではピストルと剣を擬した憲兵の見張りだけでは足りなく、職場々々の大切な部門には憲兵に職工服を着せて入り混らせていたという報告がされた。そこの細胞が最近検挙されたが、それは知らずに「職工の服を着た憲兵」に働きかけたゝめだった。そういう「職工」はワザと表面は意識ある様子を見せるので、危険この上もなかった。倉田工業は本来の軍器工場ではないので、まだ憲兵までにはきていないが、事態がもう少し進むと、そこまで行き兼ねないことが考えられる。
六
時計を見ると未《ま》だ九時だった。それで少し雑談をすることにし、私たちは身体を横にして長くなった。私は伊藤の鏡台を見て、それが笠原の鏡台よりもなかなか立派で、黄色や赤や緑色のお白粉《しろい》まで揃《そろ》っているので、
「オヤ/\!」
と云《い》った。
伊藤はそれと気付いて、
「嫌《いや》な人!」
と、立ってきた。
「伊藤は赤、青、黄と手をかえ、品をかえて、夜な夜な凄腕《すごうで》をふるうんだ。」
と須山が笑った。
「そら、そこに三越とか松坂屋の包紙が沢山あるだろう。献上品なんだよ。幸福な御身分さ!」
工場で一寸《ちょっと》眼につく綺麗《きれい》な女工だと、大抵監督のオヤジから、係の責任者から、仲間の男工から買物をしてもらったり、松坂屋に連れて行ってもらったり、一緒に「しるこ屋」に行っておごってもらったりする。伊藤は見込のありそうな平職工だと誘われるまゝに出掛けて行ったし、自分からも勿論《もちろん》誘うようにしていた。それで彼女は工場には綺麗に顔を作って行った。然しそれは男工の場合も同じで、小ざッぱりした身装《みなり》と少しキリリとした顔をしていると、女工たちから須山の所謂《いわゆる》「直接\且《か》つ具体的に」附きまとわれた。
「どうだい此の頃は?」
と私が云うと、須山は顎《あご》を撫《な》でゝニヤニヤした。――「一向に不景気で!」
「ヨシちゃんはまだか?」
私は頬杖《ほおづえ》をしながら、頭を動かさずに眼だけを向けて訊《き》いた。
「何が?」
伊藤は聞きかえしたが、それと分ると、顔の表情を(瞬間だったが)少し動かしたが、
「まだ/\!」
すぐ平気になり、そう云《い》った。
「革命が来てからだそうだ。わが男の同志たちは結婚すると、三千年来の潜在意識から、マルキストにも拘《かかわ》らず、ヨシ公を奴隷にしてしまうからだと!」
と須山が笑った。
「須山は自分のことを白状している!」
と伊藤はむしろ冷たい顔で云った。
「良き同志が見付からないんだな。」
私は伊藤を見ながら云った。
「俺じゃどうかな?」
須山はむくりと上半身を起して云った。
「過ぎてる、過ぎてる!」
私はそう云うと、
「どっちが? 俺だろう?」
と、須山がニヤ/\笑った。
「こいつ! 恐ろしく図々しい自惚《うぬぼ》れを出したもんだ!」
三人が声を出して笑った。――私は自分たちの周囲を見渡してみても、伊藤と互角で一緒になれるような同志はそんなにいまいと思っている。彼女が若し本当に自分の相手を見出したとすれば、それはキット優れた同志であり、そういう二人の生活はお互の党生活を助成し合う「立派な」ものだろうと思った。――私は今迄こんなに一緒に仕事をして来ながら、伊藤をこういう問題の対象としては一度も考えたことがなかった。だが、それは如何《いか》にも伊藤のしっかりしていたことの証拠で、それが知らずに私たちの気持の上にも反映していたからである。
「責任を持って、良い奴を世話してやることにしよう。」
私は冗談のような調子だが、本気を含めて云った。が、伊藤はその時苦い顔を私に向けた……。
帰りは表通りに出て、円タクを拾った。自動車は近路をするらしく、しきりに暗い通りを曲がっていたが、突然\賑《にぎ》やかな明るい通りへ出た。私は少し酔った風をして、帽子を前のめりに覆《かぶ》った。
「何処《どこ》へ出たの?」
と訊くと、「銀座」だという。これは困ったと思った。こういうさかり[#「さかり」に傍点]場は苦手なのだ。が、そうとも云えず、私は分らないように、モット帽子を前のめりにした。だが私は銀座を何カ月見ないだろう。指を折ってみると――四カ月も
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