ていた。それで、しるこ屋などで伊藤は「それらしいこと」を話しても別に不自然でなかった。辻と佐々木は「サクラ」をやった。みんなと一緒になり、ワザと色々な、時には反動的なことを伊藤に持ち出して、そういうことについて話のキッカケを作らせた。それは始めのうちはお互いの調子がうまくとれないで、どまつき、同じところをグル/\めぐりをしたりした。或《あ》るときなどはグル[#「グル」に傍点]になっている化けの皮が剥《は》げそうになって、ヒヤ/\した。そんな時は、終ってしるこ屋の外に出ると、三人とも自分がぐッしょり汗をかいているのに気付いた。が、一回、二回、と眼に見えて巧妙になって行った。サクラになるものが上手だと少しの考えもなく、たゞ友達位のつもりで付いてきた女工をもうま/\と引きつけることが出来た。だからサクラになるものは、意識の低い、普通の女工が知らずに抱いているような考えや偏見などをハッキリ知っていなければならなかった。
 女工たちは集まると、話すことは誰と誰が変だとか、誰と誰がくッついたとか、くッつかぬとか、そんなことばかりだった。伊藤が連絡のとき、こんなことを私に話したことがある。――マスクにいる吉村という本工からキヌちゃんというパラシュートの女工に、「何処《どこ》か静かなところで、ゆっくりお話しましょう」というラヴ・レターが来たというので、皆が工場を出るなり、キャッ/\と話している。そばやに行ってからも、そればかりが話題になった。キヌちゃんはその手紙を貰《もら》ってから、急にお白粉《しろい》が濃くなったとか、円《まる》鏡に紐《ひも》をつけて帯の前に吊《つる》し、仕事をしながら終始\覗《のぞ》きこんでいるとか、際限がない。ところが、仲間でも少し利口なシゲという女が、こんなことを云った。キヌちゃんがシミ/″\とシゲちゃんにこぼしたというのだ――静かなところで、ゆっくりお話したいと云うけれども、工場の中はこんなにガン/\しているし、夜業して帰ると九時十時になってクタ/\に疲れているし、それにあの人は七時頃帰えるので一緒になることが出来ないって。誰か「可哀相にね」と云った。するとサクラの佐々木が、「これじア私たち恋を囁やく[#「恋を囁やく」に傍点]ことも出来ないのねえ!」と云った。皆は「そうだ」とか、「本当ねえ!」とか云い始めた。
「恋を囁《ささ》やくためにだって、第一こんなに長い時間働かせられたら、たまったもんでないし、それにたまにあの人と二人で活動写真位は見たいもの、ねえ――」
 みんなが笑って、「本当よ!」と云った。
「それにはこんな日給じゃ仕様がないわ!」
「そう。少し時間を減らして、日給を増してもらわなかったら、恋も囁やけない[#「恋も囁やけない」に傍点]と来ている!」
「実際、会社はひどいよ!」
「私んとこのオヤジね、あいつ今日こんなことを怒鳴ったの、今はどんな時だか知っているか、戦争だぞ、お前等も兵隊の一部だと思って身を粉にして働かなけアならないんだ。もう少し戦争がひどくなれば、兵隊さんと同じ位の日給でドシ/\働いてもらわなくてはならないんだ。それが国のためだって。――ハゲッちョそんなことを云ってたよ!」
 これには伊藤も吃驚《びっくり》してしまった。「恋を囁やく」話が伊藤さえもがそれと気付かぬうちに、会社の待遇の問題に入って行っているのだ。このところサクラまであっけ[#「あっけ」に傍点]にとられた形だった。話はそれから少しの無理押しつけというところもなく、会社の仕打ちに対する攻撃になった。
 私はその話を伊藤から聞き、本当だと思った。戦争が始まってから労働強化は何処でもヒドクなっているのだが、同一の労働(或いは同一以上の労働)をしているにも拘《かかわ》らず、女工に対する搾取は急激に強まっている。今では全く「恋を囁《ささ》やく」ということさえも、その経済上の解決なくしては不可能になっている。それを皆はそういう言葉としてではなしに感じているのだ。
 伊藤は最近この連中を誘って、何か面白い芝居を見に行くことになっていた。伊藤や辻や佐々木は、皆が浅草のレヴューか片岡千恵蔵にしようと考えているので、それを「左翼劇場」にするためにサクラでアジることになっている。
 私は伊藤の報告のあとでそのグループに男工[#「男工」に傍点]をも入れること、それは須山と連絡をとってやればそんなに困難なことではなく、一人でも男工が入るようになれば又皆の意気込がちがうこと、もう一つの点はそのグループを臨時工ばかりにしないで本工[#「本工」に傍点]を入れるようにすること、このことが最も大切なことだ、と自分の考えを云い、彼女も同意した。
 それから私達は六百人の首切にそなえるために、今迄《いままで》入れていたどっちかと云えば工新式のビラをやめて、ビラと工場新聞
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