#「焦ったり」に○傍点]、馬車馬式[#「馬車馬式」に○傍点]になったり、便宜主義[#「便宜主義」に○傍点]になったりしないこと、そんなことが書かれていた。「焦ったり、馬車馬式に」というところと、「便宜主義」というところにはワザ/\「○」をつけていた。
それを見て、私は須山や伊藤は、自分たちは「焦ったり」「馬車馬式」になったりするほどにさえも仕事をしていないことを恥じた。
ヒゲの家《うち》には両親や兄弟が居り、その方からも私の名宛で(私たちの間だけで呼ばれていた名で)レポが入ってきた。――自分は「白紙の調書」を作る積りであること、私は一切のことを「知らない」という言葉だけで押し通していること。みんなはそれを見ると、
「これで太田の時の胸糞《むなくそ》が晴れた!」と云った。
私たちは、どんな裏切者が出たり、どんな日和見《ひよりみ》主義者が出ても、正しい線はそれらの中を赤く太く明確に一線を引いていることを確信した。
ヒゲは普段口癖のように、敵の訊問《じんもん》に対して、何か一言しゃべることは、何事もしゃべってはならぬという我々の鉄の規律には従わないで、何事かをしゃべらせるという敵の規律に屈服したことになるというのだ。共産主義者・党員にとっては敵の規律にではなく、我々の鉄の規律に従わなければならないことは当然だ、と云っていた。今彼は自分で実際にそれを示していたのだ。
「ヨシ公はシャヴァロフって知ってるか?」
と、須山が云った。
「マルクス主義の道さ。」
「又切り抜帳《スクラップ・ブック》か?」と私は笑った。
「シャヴァロフはつかまったとき、七カ月間一言もしゃべらないでがん張ったそうだ。そして曰《いわ》くだ、――一人の平凡人にとって[#「平凡人にとって」に傍点]は、如何《いか》なる陳述もなさない事、即ち俺が七カ月頑張った其の戦術に従うに越したことはない、と云っている。」
それを聞くと、伊藤は、
「ところが、この前プロレタリアの芝居にもなったことのある私達の女の同志は、ちゃんと向うに分かっている自分の名前や本籍さえも云わないで、最後まで頑張り通して出てきたの。――シャヴァロフ以上よ!」
と云った。
彼女はそれを自分のことのようにいった。須山はそれで口惜《くや》しそうに顔をゴス/\掻《か》いた。
そこで、私達は、「一平凡人として」敵の訊問《じんもん》に対しては一言も答えないということを、こゝの細胞会議の決議として実行することにした。更にこの決議は此処《ここ》だけに止めず上層機関に報告し、それを党全体の決議とするように持って行くことにした。
その後にTに入ったレポによると、ヒゲは更にK署からO署にタライ廻しにされ、そこで三日間朝から夜まで打《ぶ》ッ続けに七八人掛かりで拷問をされた。両手を後に縛ったまゝ刑事部屋の天井に吊《つる》し上げられ、下から其の拷問係が竹刀で殴ぐりつけた。彼が気絶すると水を呑まし、それを何十度も繰りかえした。だが、彼は一言も云わなかった。
伊藤はそのレポを見ると、「まッ憎らしいわねえ!」と云った、彼女も二度ほど警察で、ズロースまで脱ぎとられて真ッ裸にされ、竹刀の先きでコヅキ廻わされたことがあったのだ。
これらの同志の英雄的闘争は、私達を引きしめた。私はどうしても明日までやってしまわなければならない仕事が眠いために出来なく、寝ようと思う、そんなときに中《なか》の人たちのことを考え、我慢し、ふん[#「ふん」に傍点]張った。中の人のことを考えたら、眠いこと位は何んでもないことだった。――今中の人はどうしているだろう、殴られているだろう、じゃこの仕事をやってのけよう。そんな風で、我々の日常の色々な生活が中《なか》の同志の生活とそのまゝに結びついていた。内と外とはちがっていても、それが支配階級に対する闘争であるという点では、少しの差異がなかったからである。
五
伊藤は臨時工のなかに八九人の仲間を作った。――倉田工業では六百人の臨時工を馘《くび》きるということが愈々《いよいよ》確実になり、十円の手当も出しそうにないことが(共産党のビラが撒《ま》かれてから)誰の眼にもハッキリしてきた。その不安が我々の方針と一致して、親睦会めいた固《かたま》りは考えたよりも容易《たやす》く出来た。
女たちは工場の帰りには腹がペコ/\だった。伊藤や辻や佐々木たちは(辻や佐々木は仲間のうちでも一番素質がよかった)皆を誘って「しるこ屋」や「そばや」によった。一日の立ちずくめの仕事でクタ/\になっているみんなは甘《あま》いものばかりを食った。そして始めて機械のゴー音が無くなったので、大声で、たった一度に一日中のことをみんなしゃべってしまおうとした。
伊藤たちは次のようにやっていた。伊藤はみんなのなかでも、「あれ」ということになっ
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