それは当然俺がやらなけアならない。」
と云った。
 私はそれに肯《うなず》いた。
 伊藤は身体をこッちりと固くして、須山と私、私と須山と眼だけで見ていた。――私が伊藤の方を向くと、彼女は口の中の低い声で、「異議、な、し、――」と云った。
 見ると、須山は自分でも知らずに、胡坐《あぐら》の前のバットの空箱を細かく、細かく切り刻んでいた。
 それが決まった時、フト短い静まりが占めた。すると今迄気付かずにいた表通りを通る人達のゾロ/\した足音と、しきりなしに叫んでいる夜店のテキヤの大きな声が急に耳に入ってきた。
 それから具体的なことに入った。――最近ビラや工新の「マスク」が、女の身体検査がルーズなために女工の手で工場に入っていると見当をつけて、女工の身体検査が急に厳重になり出している。それで当日は伊藤が全責任を持ち、両股《もも》がゴムでぴッしりと強く締まるズロースをはいて、その中に入れてはいること。彼女は朝Sの方からビラを手に入れたら、街の共同便所に入って、それをズロースに入れる。工場に入ってからは一定の時間を決めて、やはり便所を使って須山に手渡す方法をとる。ビラは昼休に屋上で撒くこと。それらを決めた。
 会合が終ると、今迄抑えていた感情が急に胸一杯にきた。
「永い間のお別れだな……!」
と私が須山に云った。
 すると、彼は、
「俺の友達にこんなのがある」と云った、「仲の良い二人の友達なんだが、一人は三・一五で三年やられたんだ。ところがモウ一人は次の年の四・一六で四年やられた。三・一五の奴が出てきて、昨年の一二月又やられ、三年になった。そいつ[#「そいつ」に傍点]は四・一六の奴の出てくるのを楽しみにしていたんだ。それで監獄に入るときに曰《いわ》くさ、俺とあいつはどうも永久にこうやって入りくり[#「入りくり」に傍点]になって会えないらしい、だが結構なことだって……!」
 そして、「これは俺の最後の切抜帳《スクラップ・ブック》かな?」と自分で云った。
 私と伊藤は――思わず噴《ふ》き出した。が、泣かされるときのように私の顔は強わばった。
「どんなことがあったって、こゝ[#「こゝ」に傍点]の組織さえがッちりと残っていれば、闘争は根をもって続けられて行くんだから、君だけはつかまらないようにしてくれ。――君がつかまったら、俺のしたことまでもフイで、犬死になるんだからな!」
と、須山が云った。
 私たちは今日の決定通りに準備をすすめ、二十六日の夜モウ一度会うことにして、
「じア……」と立ち上がった。そのとき私と須山はそんなことをしようとは考えてもいなかったのに、部屋の真ん中に突ッ立ったまゝ両方から力をこめて手を握り合っていた。
 フト須山は子供のようにテレ[#「テレ」に傍点]て、
「何んだ、佐々木の手は小《ち》ッちゃいな!」
と、私に云った。

 須山は外へ出ながら、モウこれからは機会もないだろうと思って、私の家《うち》に寄ってきたと云った。「君のおふくろは、合う度に何んだか段々こう小さくなって行くようだ。」と云った。
「…………?」
 私は何を云うんだろうと思った。が、フイにその「段々小さくなってゆく」という須山の言葉は、私の心臓を打った。私はその言葉のうちに、心配事にやつれてゆく母の小さい姿がアリアリと見える気がした。――が、こういう時にそんな事を云う奴もないものだ、と思った。私はさりげなく、たゞ「そうだろうな……」と云って、その話の尻《しり》を切ってしまった。
 須山と別れてから、伊藤が次の連絡まで三十分程間があるというので、私と少しブラブラすることになった。私たちは、二十六日には須山のために小さい会をしてやろうということを話した。そのために伊藤が菓子とか果物を買ってくることにした。
 伊藤は何時もは男のように大股《おおまた》に、少し肩を振って歩くのが特徴だった、それが私の側を何んだが女ッぽく、ちょこちょこと歩いているように見えた。別れるとき彼女は「一寸待ってネ」と云って、小さい店屋に入って云った。やがて、買物の包みを持って出てくると、
「これ、あんたにあげるの――」
と云って、それを私に出した。そして、私が「困ったな!」と云うのに、無理矢理に手に持たしてしまった。
「此頃あんたのシャツなど汚れてるワ。向うじゃ、ヨクそんなところに眼をつけるらしいのよ!」
 下宿に帰って、その包みを開けてみながら、フト気付くと私は伊藤と笠原を比較してみていた。同じく女だったが、私は今までに一度も伊藤を笠原との比較で考えてみたことは無かったのだ。だが、伊藤と比らべてみて、始めて笠原が如何《いか》に私と遠く離れたところにいるかということを感じた。
 ――私はもう十日位も笠原のところへは行っていなかった……。



 倉田工業の屋上は、新築中の第三工場で、昼
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