休になると皆はそこへ上って行って、はじめて陽の光りを身体一杯にうけて寝そべったり、話し込んだり、ふざけ廻ったり、バレー・ボールをやったりした。その日はコンクリートの床に初夏の光が眩《まぶ》しいほど照りかえっていた。須山は自分のまわりに仲間を配置して、いざという時の検束の妨害をさせる準備をしておいた。
 一時に丁度十五分前、彼はいきなり大声をあげて、ビラを力一杯、そして続け様に投げ上げた。――「大量馘首絶対反対だ!」「ストライキで反対せ!」……あとは然し皆の声で消されてしまった。赤と黄色のビラは陽をうけて、キラ/\と光った。ビラが撒《ま》かれると、みんなはハッとしたように立ち止まったが、次にはワアーッと云って、ビラの撒かれたところへ殺到してきた。すると、そのうちの何十人というものが、ムキになって拾いあげたビラを、てんでに高く撒きあげた。それで最初一カ所で撒かれたビラは、またゝく間に六百人の従業員の頭の上に拡がってしまった。――こんなことがあるだろうと、予《あらかじ》め屋上の所々に立ち番をしていた守衛は、「こら、こら! ビラを拾っちゃいかん!」と声を限り叫んで割り込んできたが、さて誰が撒いたのか見当がつかなくなってしまった。見ると誰でも、かれでもビラを撒いているのだ。
 仕方のなくなった守衛は、屋上からの狭い出口を厳《かた》めて、そこから一人ずつ通して首実検をしようとしたが、そんなことをしていたら一時間経っても仕事が出来ない。皆は、太いコンクリートの煙突から就業のボーが鳴り出すと、腕を組んでその狭い入口めがけて「ワッショ、ワッショ!」と押しかけてしまった。そうなれば、守衛には最早どうにも手がつかなかった。――伊藤が見ていると、須山はその人ごみの中を糞《くそ》落付きに落付いて、「悠然《ゆうぜん》と」降りて行ったそうである。
 あとでおやじが「誰が撒いたか知らないか?」と一人一人訊《き》きまわったが、確かに須山が撒いたことを知っているものが居るにも拘《かかわ》らず、誰も云うものがいなかった。青年団の馬鹿どもが、口惜しがって、プンプンした。その日、須山のいる第二工場と、伊藤たちのパラシュートでは気勢が挙がって、代表を選んで他の工場とも交渉し、会社に抗議しようというところまで来た。
 帰りに須山と伊藤が一緒になると、彼は「こういう時は、俺だちだって泣いてもいゝんだろうな!」と云って、無暗に帽子をかぶり直したり、顔をせわしくこすったりした。
 途中、彼は何べんも何べんも、「こうまでとは思わなかった!」「こうまでとは思わなかった! 大衆の支持って、恐ろしいもんだ!」と、繰りかえしていた。
 私はビラを撒いた日の様子をきくために、その日おそく伊藤と連絡をとっておいた。私は全く須山が一緒にやって来ようとは考えてもいなかったのだ。私は伊藤の後から入ってきた須山を、全く二三度見直した位である。それが紛れもなく須山であることが分ったとき、私は思わず立ち上がった。
 私はそこで詳しいことを聞いたのである。私も興奮し、須山が伊藤に云ったという云い方を真似して、「こういう時は俺だちだってビールの一杯位は飲んだっていゝだろう!」と、三人でキリンを一本飲むことにした。
 須山は躁《はしゃ》いで、何時《いつ》もの茶目を出した。
「あのビラ少し匂いがしていたぞ!」
と、伊藤にそんなことを云った。私は、「こら!」と云《い》って、須山の肩をつかんで、笑った。
 然《しか》し、決定的な闘争はむしろ明日のきん坤《こん》[#「きん坤」に傍点]一番にあるので、私たちはそれに対する準備を更に練った。

 次の朝、職工たちが工場に行くと、会社は六百人の臨時工のうち四百人に、二日分の日給を渡して、門のところで解雇してしまった。ケイサツが十五六人出張してきていて、日給を貰いはしたものゝ呆然《ぼうぜん》として、その辺にウロ/\している女工たちに、「さア帰った、帰った!」と、追い戻していた。
 勘定口の側に、「二十九日仕事の切上げの予定のところ、今日になりました。然し会社は決して皆さんに迷惑を掛けないようにと、それまでの二日分の日給を進んでお払いしますから、当会社の意のあるところをお汲《く》み願います。なお又新しい仕事がある時は、会社としては皆さんに採用の優先権を認めますから、お含み下さい。」と、大きな掲示が出ていた。臨時工を二百人だけ後に残したことにも、彼等のコンタンがある。歩調を乱れさせたわけだ。
 解雇組には須山も伊藤も入っていた。――私たちは土俵際でまんまと先手を打たれてしまった。――須山と伊藤は見ていられないほどショげてしまった。私とても同じである。然し敵だって、デクな人形ではない。私たちは直ぐ立ち直り、この失敗の経験を取り上げ、逆転した情勢をそのまゝに放棄せずに、次の闘争に役立
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