なると、清川は、満洲に行っている兵士は労働者や農民で、我々の仲間だ、だからプロレタリアートの連帯心として慰問金を送ることは差支えないと云った。皆は自分の爪をこすりながら、黙ってきいていた。我々の同志は工場にいたときは資本家に搾られ、戦場へ行っては、敵弾の犠牲となっている。だが、この我々の同志を守るものは我々しかない[#「我々しかない」に傍点]、だから我々は慰問金の募集に応じて差支えない――清川の説に、今度は皆はもっともらしくうなずいた。
見ていると、伊藤は困ったように眉をしかめていたが、
「そうだろうか――?」
と云った。
僚友会には女工が十四五人いたが、会に出てくるものは二人位しかいなかった。それを伊藤が誘い合わせたので、六人ほど出ていた。僚友会としてはめずらしいことだった。――ところが僚友会で女が発言したことは今迄《いままで》になかったので、皆は急に伊藤の顔を見た。
「清川さんの話を聞いていると、もっともらしいが何んだか陸軍大臣の訓辞をきいているようで……」
皆はドッと笑った。
「清川さんでも誰でも、今度の戦争が私たちのためでなくて、結局は矢張り資本家のためにやられているということは分りきっている。若《も》しも私たち職工や失業者や貧乏百姓のためにやられているものとしたら、私たちは勿論《もちろん》裸になっても有り金全部は慰問金にして送ってもいゝが、――そうでない。」
伊藤がそう云うと、青年団の職工が突然口を入れて妨害し出した。それで、須山が割って入った。彼は清川の言葉をそのまゝ使って、「我々労働者は工場にいるときは搾られ、資本家の用事がなくなれば勝手に街頭に放り出され、戦争になれば一番先きに引ッ張り出される。どの場合でもみんな資本家のためばかりに犠牲にされている。――だから、若《も》しも慰問金を出すならば彼奴等[#「彼奴等」に傍点]が出さなければならないのだ!」
そういうと、皆は又それもそうだというような顔をした。
「慰問金を我々に出させるのは、彼奴等は戦争は自分たちのためにやられているのではなくて、国民みんなのためにやられているのだと思いこませるためのカラクリなのだ。」
すると、伊藤は須山のあとを取って、「赤い慰問袋」の話をしたり、戦争になってから少しも自分たちが生活が楽にならなかった[#「かった」に傍点]ことなどを話した。そうなると清川たちはモウ太刀打ちは出来ないのだ。清川は僚友会の「おん大」の貫禄をみんなの前で下げてしまった。青年団の職工だって、駄目なのだ。だが、こういう社会ファシストの本体というのは本当の芝居を大衆の前ではなくて背《うしろ》の方で打つところに面目があるのだから、これだけでうまく行ったと思えば大間違いなのだ。
その会合の帰り、青年団の奴が二三人で、
「お前は虎だな!」と云って、「一寸来い!」
と云うのだ。そして小路へ入るなり、いきなり寄ってたかって殴ぐりつけた。
「三人じゃ、俺も意気地なくのび[#「のび」に傍点]てしまったよ!」
と須山は笑った。
須山は直ぐ伊藤を通じて、昨日集まった僚友会のメンバーに、この卑怯《ひきょう》なやり方を知らせて貰《もら》うことにした。それが何よりどっちが正しいかを示すことになるからである。
須山に会ってから一時間して、伊藤と会うと、慰問金のことでどうして殴ぐり合いになったかと皆んなが興味をもってきくので、殴ぐり合いのことを話しているうちに慰問金の本当の意味のことが話せて都合が良かったと、喜んでいた。――慰問金のことを充分に皆に分らせることが出来なかったと思って心配したのだが、皆は理窟より前に、この仕事のつらさにもってきて、その上又金まで取られたら、「くたばる[#「くたばる」に傍点]ばかりだ」と云うので、案外にも募集は不成功に終った。工場の様子では、殴ぐられてから須山の信用が急に高くなった。職工たちはそういうことだと、直《す》ぐ感激した。その代り須山はおやじ[#「おやじ」に傍点]ににらまれ出したので、ひょっとすると危いと、伊藤は云った。
「今度の慰問金の募集は、どうも会社が職工のなかの赤に見当をつけるために、ワザとやったようなところがある……?」
私は確かにそうだ、と云った。
すると彼女は、
「少し乗せ[#「乗せ」に傍点]られた――」
と云った。
私は、何時《いつ》もの伊藤らしくないと思って、
「それは違う!」と云った――「俺たちはその代り、何十人という職工の前に、誰が正しいかということを示すことが出来たんだ。それと同時に、僚友会のなかに我々の影響下を作れるし、それを放って置くのではなしに、組織的に確保したら素晴しい成果を挙げ得たことになる。少しの犠牲もなしに仕事は出来ない。これらは最後の決定的瞬間にキット役に立つ。」
伊藤は、急に顔を赤くして、
「
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