ってるわ、頼んで。――本当に、どんな気で他人の働いてるのを見に来るんだか。
――何が恥かしいッて。お嬢さん面へ空罐でも打《ぶ》ッつけてやればいゝんだ。動物園と間違ってやがる。
――よオ! よオ!
――何がよオだい。働いた金でのお嬢さん面なら、文句は云わない。何んだい!
――へえ、キイ公も偉くなったな。どうだい、今晩活動をおごるぞ。行かないか。月形竜之介演ずるところの、何んだけ、斬人斬馬の剣か。人触るれば人を斬り、馬触るれば馬を斬る! 来いッ、参るぞオ――だ。行かないか。
――たまには、このお君さんにも約束があるんでね。
――キイ公めっきり切れるようになったな。
お君は今晩「仕事」のことで、森本と会わなければならなかった。――
階段を上ってくる沢山の足音がした。
――さア、来たぞ※[#感嘆符二つ、1−8−75]
十一
その昼、森本は笠原を誘って、会社横の綺麗《きれい》に刈り込んだ芝生に長々とのびた。――彼はこういう機会を何時でも利用しなければならなかった。笠原は工場長の助手をしていた。甲種商業学校出で、マルクスのものなども少しは読んでいるらしかった。
そこからは、事務所の前で、ワイシャツの社員がキャッチボールをやっているのが見えた。力一杯なげたボールがミットに入るたびに、真昼のもの憂い空気に、何かゞ筒抜けていくような心よい響きをたてた。側に立っていた女事務員が、受け損じると、手を拍《う》ってひやかした。
が、工場の日陰の方には、子供が負ぶってきた乳飲子を立膝の上にのせて、年増の女工が胸をはだけていた。それが四五組あった。
森本は青い空をみていた。仰向けになると、空は殊更に青かった。――その時、胸にゲブゲブッと来た。森本は口の中でそれを噛《か》み直した。
――オイ!
側にいた笠原が頭だけをムックリ挙げて、森本を見た。
――……? 反芻《はんすう》か? 嫌な奴[#「嫌な奴」に傍点]だな。
彼は極り悪げにニヤ/\した。
森本が会社のことを色々きくのは笠原からだった。
会社は今「産業の合理化」について、非常に綿密な調べ方をしていた。然し合理化の政策それ自体には大した問題があるのではなくて、その政策をどのような方法で実行に移すかということ――つまり職工たちに分らないように、憤激を買わないようにするには、どうすればいゝか、その事で頭を使っていた。
「H・S」では、新たに採用する職工は必ず[#「必ず」に傍点]現に勤務している職工の親や兄弟か……でなければならなかった。専務は工場の一大家族主義化を考えていた。――然しその本当の意味は、どの職工もお互いが勝手なことが出来ないように、眼に見えない「責任上の連繋《れんけい》」を作って置くことにあった。それは更に、賃銀雇傭という冷たい物質的関係以外に、会社のその一家に対する「恩恵」とも見れた。然し何よりストライキ除けになるのだった。で、今合理化の政策を施行しようとしている場合、これが役立つことになるわけだった。
会社は更に市内に溢れている失業労働者やすぐ眼の前で動物線以下の労働を強いられている半自由労働者――浜人足たちのことを、たゞそれッ切りのことゝして見てはいなかった。そういう問題が深刻になって来れば来るほど、それが又「Yのフォード」である「H・S」の職工たちにもデリケートな反映を示してくるということを考えていた。――そういう一方の「劣悪な条件」を必要な時に、必要な程度にチク/\と暗示をきかして、職工たちに強いことが云えないようにする。――「H・S」はだから、イザと云えば、そういう強味を持っていた。
合理化の一つの条件として、例えば労働時間の延長を断行しようとする場合、それが職工たちの反感を真正面《まとも》に買うことは分り切っている。然し、軍需品を作るS市の「製麻会社」や、M市の「製鋼所」などでは、それが単なる「営利事業」でなくて、重大な「国家的義務」であるという風に喧伝して、安々と延長出来た例があった。――「抜け道は何処にでもある。」だから、その工場のそれ/″\の特殊性を巧妙につかまえれば、案外うまく行くわけだった。――「H・S」もそうだった。
[#ここから3字下げ]
自慢じゃ御座んせぬ
製罐工場の女工さんは
露領カムチャツカの寒空に
命もとでの罐詰仕事
無くちゃならない罐つくる。
羨ましいぞえ
製罐工場の女工さんは
一度港出て罐詰になって
帰りゃ国を富まして身を肥やす
無くちゃならない罐つくる。
自慢じゃ御座んせぬ
製罐工場の女工さんは
怠けられようか会社のために
油断出来ようかみ国のために
命もとでの仕事に済まぬ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き](「H・S会社」発行「キャン・クラブ」所載。)
そういう歌や文章が投稿されてくると、会社は殊更に「キャン・クラブ」で優遇した。又、会社がこっそり誰かに作らせて、それを載せることさえした。
「H・S会社」はカムサツカに五千八百万罐、蟹工船に七百八十万罐、千島、北海道、樺太に九百八十万罐移出していた。割合《パーセント》にして、カムサツカは圧倒的だった。
笠原は工場長のもとで「科学的管理法《サエンテフィック・マネージメント》」や「テイラー・システム」を読ませられたり、色々な統計を作らされるので、会社の計画を具体的に知ることが出来た。日本ばかりでなく、世界の賃銀の高低を方眼紙にひかされた。――世界的に云って、名目賃銀は降っていたし、生活必需品の価格と比較してみると、実質賃銀としても矢張り下降を辿っている。「H・S」だけが何時迄もその例外である筈がなかった。又、生産力の強度化[#「強度化」に傍点]を計るために、現在行われている機械組織がモット分業化され、賃銀の高い熟練工を使わずに、婦女子で間に合わすことが出来ないか、コンヴェイヤーがもっと何処ッかへ利用出来ないか、まだ労働者が「油を売ったり」「息を継ぐ」暇があるのではないか、箇払賃銀にしたらどうか……。職工たちがせゝッこましい工場の中のことで、頭をつッこんでグズ/\しているまに、彼等は「世界」と歩調を合せて、その方策を進めていた。
「H・S工場」の五カ年の統計をとってみると、生産高が増加しているのに、労働者の数は減っている。これは二つの意味を持っていた。――一つは今迄以上に労働者が搾《しぼ》られたと云うこと、一つはそれだけが失業者として、街頭におッぽり出されているわけである。コンヴェイヤーが完備してから、「運搬工」や「下働人夫」が特に目立って減った。熟練工、不熟練工との人数[#「人数」に傍点]の開きも賃銀[#「賃銀」に傍点]の開きも、ずッと減っている。驚くべきことは、何時のまにか「女工」の増加したことで、更に女工が増加した頃から、工場一般[#「一般」に傍点]の賃銀が眼に見えない位ずつ低下していた。――工場長は、女を使うと、賃銀ばかりの点でなく、労働組合のような組織に入ることもなく、抵抗力が弱いから無理がきく、と云っていた。
然しこれ等のことは、どれもたゞ「能率増進」とか「工場管理法」の徹底とか云ってもいゝ位のことで、「産業の合理化」という大きな掛声のホンの内輪な一部分でしかなかった。――「産業の合理化」は本当の目的を別なところに持っていた。それは「企業の集中化[#「企業の集中化」に傍点]」という言葉で云われている。中や小のゴチャ/\した商工業を整理して、大きな奴を益々大きくし、その数を益々少なくして行こうというのが、その意図だった。
で、その窮極の目的は、残された収益性に富む大企業をして安々と独占の甘い汁を吸わせるところにあった。そして、その裏にいて、この「産業の合理化」の糸を実際に[#「実際に」に傍点]操《あやつ》っているものは「銀行」だった。
例えば銀行が沢山の鉄工業者に多大の貸出しをしている場合、自分の利潤から云っても、それ等のもの相互間に競争のあることは望ましいことではない。だから銀行は企業間の競争を出来るだけ制限し、廃止することを利益であると考える。こういう時、銀行はその必要から、又自分が債権者であるという力から、それ等の同種産業者間に協定[#「協定」に傍点]と合同[#「合同」に傍点]を策して、打って一丸とし、本来ならば未だ競争時代にある経済的発展段階を独占的地位に導く作用を営むのだ。――合理化の政策は明かに「大[#「大」に傍点]金融資本家」の利益に追随していた。
毎月三田銀行へ提出する「業務報告」を書かせられている笠原は、資本関係としての「銀行と会社」というものが、どんな関係で結びつけられているか知っていた。――「H・S工場」の監督権も、支配、統制権もみんな三田銀行が握っていること、営業成績のことで、よく会社へ文句がくること、専務が殆んど三田銀行へ日参していること、誇張して云えば、専務は丁度逆に三田銀行から「H・S」へ来ている出張員のようなものであること……。こういう関係は、いずれ面白いことになりそうだ……笠原がそんなことを話した。森本はだん/\青空を見ていなかった。
産業の合理化は更に購買と販売の方にもあらわれた。資本家同志で「共同購入」や「共同販売」の組合を作って、原料価格と販売価格の「統制」をする。そうすれば、彼等は一方では労働者を犠牲にして剰余価値をグッと殖《ふ》やすことが出来ると同時に、こゝでは価格が「保証」されるわけだから、二重に利潤をあげることが出来るのだった。彼等の独占的な価格協定のために、安い品物を買えずに苦しむのは誰か? 国民の大多数をしめている労働者[#「労働者」に傍点]だった。
――要らなくなったゴミ/\した工場は閉鎖される。労働者はドシ/\街頭におッぽり出される。幸いに首のつながっている労働者は、ます/\科学的に、少しの無駄もなく搾《しぼ》られる。他人事ではないさ。――こういう無慈悲な摩擦《まさつ》を伴いながら、資本主義というものは大きな社会化された組織・独占の段階に進んで行くものなのだ。だから、産業の合理化というものは、どの一項を取り出してきても、結局資本主義を最後の段階まで発達させ、社会主義革命に都合のいゝ条件を作るものだけれども、又どの一項をとってみても、皆結局は「労働者」にその犠牲を強いて[#「犠牲を強いて」に傍点]行われるものなんだ。――「H・S」だって今に……なア……。
笠原は眼をまぶしく細めて、森本を見た。
――「Yのフォード」も何時迄も「フォード」で居られなくなるんでないか、と思うがな。
十二
始業のボウで、二人が跳ね上った。笠原はズボンをバタ/\と払って、事務所の方へ走って行った。
気槌《スチーム・ハンマー》のドズッ、ドズッという地ゆるぎが足裏をくすぐったく揺すった。薄暗い職場の入口で、内に入ろうとして、森本がひょいと窓からゴルフへ行く専務の姿を見て、足をよどました。給仕にステッキのサックを背負わしていた。拍子に、中から出てきた佐伯と身体を打ち当てゝしまった。
――失敬ッ!
――ひょっとこ奴《め》!
佐伯? 何んのために、こっちへやって来やがったんだ、――森本は臭い奴だと思った。
――何んだ、手前の眼カスベ[#「カスベ」に傍点]か鰈《かれい》か?
――何云ってるんだ。窓の外でも見ろ!
佐伯はチラッとそれを見ると、イヤな顔をした。
――あの格好を見れ。「昭和の花咲爺」でないか。ゴルフってあんな恰好しないと出来ないんか。
――フン、どうかな……。
あやふやな受け方をした。佐伯には痛いところだった。
――実はね、安部磯雄が今度遊説に来るんだよ。……それを機会に、市内の講演が終ってから、一時間ほど工場でもやってもらうことにしたいと思ってるんだ。これは専務も賛成なんだが……。
――主催は? ……君等が呼ぶのか?
――冗談じゃない、専務だよ。
――専務が※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
森本が薄く笑った。
――へえ、馬鹿に大胆なことをするもんだな。
――偉いもんだよ。
佐伯は森本
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