ければならないと云った。佐伯たちがその先頭に立った。「H・S危急存亡の秋《とき》、諸君の蹶起を望む!」と、愛社心を煽って歩いた。――彼等はそんなときだけ、職工をだし[#「だし」に傍点]に使うことを考えた。
昼休みに女工たちは、男工の話し込んでいる所をウロ/\した。
――どうなるの?
ときいた。
――男も女も半分首だとよ!
男工がヤケ[#「ヤケ」に傍点]にどなった。
二十
ビラは深い用意から、女工の手によって工場に持ち込まれた。夜業準備のために、女工たちの帰えりが遅くなったとき「脱衣室」の上衣に一枚々々つッこまれた。十人近くの女工がそのために手早く立ち働いた。
朝、森本が工場の入り口で「タイム・レコーダー」を押していると、パンパン帽をかぶった仕上場の職長が、
――大変だぜ!
と云った。
――大変なビラだ。「ニュース」と同じ系統だ。
――へえ。
――今度は全部配られているんだ。何処から入るんかな。こゝの工場も小生意気になったもんだ。 職長は鶴見あたりの工場から流れて来た「渡り職工」だった。皆を「田舎職工」に何が分ると、鼻あしらいしていた。ストライキになったら、専務より先きに、この職長をグレエンにぶら下げて、下から突き上げしてやるんだ、と仕上場では云っていた。――「フン、今に見ろ!」森本は心の中でニッ[#「ニッ」に傍点]と笑った。
工場の中は、いよ/\朝刊に出た金菱の態度と、ビラの記事でザワついていた。一足ふみ入れて、それを感じとると、森本はしめたと思った。仕事の始まる少し前の時間を、皆は機械のそばに一かたまり、一かたまりに寄ってビラのことをしゃべっている。
――こうなったら、これが矢張り第一の問題さ。
森本は集りの輪の外へとんでくるそんな言葉をつかんだ。
製罐部に顔を出すと、トップ・ラインにいたお君が、素早く見付けて、こっちへ歩いてきた。何気ない様子で、
――大丈夫よ。委員会は選挙制にするのが理屈だって云ってるわ。あんたの方の親爺、あの禿《はげ》の頑固! あいつ奴《め》だけが皆からビラをふんだくって歩いてるのよ。
それだけ云って、男のように走って行った。
アナアキストの武林が罐縁曲機《フレンジャー》に油を差していた。ひょいと上眼に見て、
――お前だな。
と云った。
――何んだ、皆こうやって興奮しているのに、お前だけ工場長にでもなったように、ツウーンとしているんだな。
森本はギョッとして、キツ先を外した。
――指導精神が違いますだ。
――そうか。自分だけは喰わなくてもいゝッて指導精神か。結構だな。
――そ。正にそう。
森本は製罐部で見て置かなければならなかったのは、肉親関係をお互に持っている職工たちの動きだった。それはお君や、この方の同志にも殊更に注意して置いた。然しまだそれは見えていなかった。
たゞ心配なことは、工場全体の動きを早くも見てとって、工場長が「H・S」全体に利害を持つことだからと、「工場大会」か何かの形で「先手」を打って来ないか、ということだった。――工場内の動きのうちには、ハッキリ分ることだが、自分たちの立場、階級的な気持からではなくて、矢張り其処には「会社全体の大問題」だという興奮のあることを見逃すことが出来なかった。乗ぜられ易い機微を、彼はそこに感じた。
鋳物場では車輪の砂型をとってある側に、三四人立ち固まっていた。木型の大工も交っていた。すぐ下がってくる水洟《みずばな》を何度も何度もすゝり上げていた。
――誰か思いきって、グイと先頭に立つものが居なかったら、こういうものは駄目なんだ。
云っているのは増野だった、――見習工のとき、彼は溶かした鉄のバケツを持って、溶炉から砂型に走って行く途中、足下に置き捨てゝあった木型につまずいて、顔の半分を焼いた。そのあとがひどくカタを残していた。
――各職場から一人か二人ずつ出るんだな。
森本は彼を「細胞」の候補者にしていた。
鋳物工の職工は、どれも顔にひッちりをこしらえたり、手に繃帯《ほうたい》をしていた。砂型に鉄を注ぎ込むとき、水分の急激な発散と、それと一緒に起る鉄の火花で皆やけど[#「やけど」に傍点]をしていた。
鍛冶場の耳の遠い北川爺は森本をみると、
――ビラの通りに何んか起るのか。どうしても、こういう工合にしなけア駄目なもんかなア、森よ!
と云った。
――そうだよ。そうなれば爺《じい》ちゃだって、安心ッてもんだ。
北川爺は耳が遠いので、彼を見ながら、頭をかしげて、あやふやな笑い顔を向けた。
打鋲《リベッチング》の山上は、
――やるど!
と云った。彼は同志の一人だった。
――仕上場はどうだい?
腕を少し動かしても、上膊の筋肉が、グル、グルッとこぶ[#「こぶ」に傍点]になった、堅い身体を持っていた。
――それア何たって本場[#「本場」に傍点]さ。
――本場はよかった。出し抜かれるなよ。
と笑った。
――出し抜かれて見たいもんだ。
熟練工のいる仕上場は「金菱」のことで、直接にそうこたえるわけではなかったが、製罐部のように直ぐ代りを入れることの出来ない強味を持っていたし、何より森本を初め「細胞」の中心がこゝにあったので、しっかりしていた。
ボールバンに白墨で円を描いていた仲間が森本をちらッと見ると、眼が笑った。白墨の粉のついた手をナッパの尻にぬぐって、
――「紙」は?
と、訊《き》いた。
――朝すぐ。先手を打つ必要がある。
旋盤や平鑿盤《シカルバン》や穿削機《ミーリング》についている仲間が、笑いをニヤ/\含んだ顔でこっちを見ていた。機械に片足をかけて「金菱政策」を泡をとばして話していた。穿削機には昨日から歯を削っていた歯車が据えつけられたまゝになっていた。
大乗盤の側の空所に、註文の歯車やシャフトや鋲付する煙筒や鉄板が積まさっていた。仕上った機械の新鮮な赤ペンキの油ッ臭い匂いがプン/\鼻にきた。
就業のボーが波形の屋根を巾広くひゞかせた。職長は二人位しか工場に姿を見せていない。事務所に行ってるらしかった。――皆はいつものように、ボーがなっても、直ぐ機械にかゝる気がしていなかった。
ベルトがヒタ、ヒタ………と動き出すと、声高にしゃべっていた人声が、底からグン/\と迫るように高まってくる音に溺《おぼ》れて行った。シャフトにベルトをかけると、突然生物になったように、機械は歯車と歯車を噛《か》み合わせ、シリンダアーで風を切った。一定の間隔に空罐をのせたコンヴェイヤーが、映画のフイルムのように機械と機械の間を辷《すべ》って行った。ブランク台で大板のブリキをトロッコから移すたびに、その反射がキラッ、キラッと、天井と壁と機械の横顔を刃物より鋭く射った。トップ・ラインの女工たちが、蓋を揃えたり、数えたりしながら何か歌っている声が、どうかした機械の轟音のひけ[#「ひけ」に傍点]間に聞えた。――天井の鉄梁《ビーム》が機械の力に抗《た》えて、見えない程揺れた。
――あのニュースとかッて奴は共産党の宣伝をしてるんだろ、な。
職長が両手を後にまわしながら、機械の間を歩いていた。
――さア。
きかれた職工は無愛想につッぱねた。が、フト、ぎょッとした。――それは細胞の一人だった。「H・Sニュース」に漫画が多かったりすると、彼はよく糊付《のりづ》けにぺったり機械へはったりした。
――後にはキッと共産党がいるんだ。どうもそうだ。
――然しあんなものが共産党なら、共産党ッてものも極く当り前のことしか云わないもんだね。
――だから恐ろしいんだよ。
彼は笑ってしまった。
――だから何んでもないッて云うのが本当でしょうや。
仕事が始まってから二十分もした。――働いていた職工が後から背を小突かれた。
――何処ッかゝら廻ってきた。
紙ッ切れをポケットの中にソッと入れられた。いゝことには、職長が二人位しかいないことだった。
[#ここから4字下げ、罫囲み]
「工場委員会」の選挙制協議のため時間後一人残らず食堂へ集合の事。危機は迫っている。団結の力を以って我等を守ろう。
[#ここで字下げ終わり]
――次へ廻わしてやるんだそうだ。変な奴には廻さないそうだど。
――ホ! 矢張りな。
同じ時に、それと同じ紙片が「仕事場」にも「鋳物場」にも、「ボデイ・ライン」にも、「トップ・ライン」にも、「漆塗工場《ラッカー》」にも、「釘付工場《ネーリング》」にも、「函詰部《パッキング》」にも同じ方法で廻っていた。――
職長たちが話しながら、ゾロ/\事務所から帰ってきた。機械についていた職長がそれを見ると、周章てゝ走って行った。彼は工場の隅で立話を始めた。職工たちは仕事をしながら、それを横目でにらんだ。
仕上場の見張りの硝子戸の中から、「グレエン」職長が周章てゝ飛び出してきた。――金剛砥《グラインダー》に金物をあてゝいた斉藤が、その直ぐ横の旋盤についていた職工から、何か紙片を受取って、それをポケットに入れた。それをひょッと見たからだった。神経が尖《と》がっていた。――皆は何が起ったか、と思った。その「渡り職」の後を一斉に右向けをしたように見た。
――おいッ!
大きな手が斉藤の肩をつかんだ。然し振返った斉藤は落付ていた。
――何んですか?
ゆっくり云いながら、片手は素早くポケットの紙片をもみくしゃにして、靴の底で踏みにじっていた。
――あ、あッ、あッ、その紙だ!
職長がせきこんだ。
――紙?
砂地の床は水でしめっていた。斉藤は靴の先きで、紙片をいじりながら、
――どうしたんです。
――どうした? 太《ふて》え野郎だ。
然しそれ以上職長にはどうにも出来なかった。「うらめし」そうに踏みにじられた紙片を見ながら、
――この野郎、とう/\誤魔化しやがった! 畜生め!
と云った。
機械から手を離して見ていた職工たちは、ざまア見やがれ、と思った。
――グレエンに吊《つる》されるのも、もう少しだぞ。
職長は目論見《もくろみ》外れから工合悪そうに、肩を振って帰って行った。職工たちの眼はそれを四方から思う存分|嘲《あざけ》った。
――バーカーヤーロー。
ステキ盤でシャフトに軌道をほっていた仲間が、口を掌で囲んで、後から悪戯した。皆がドッと笑った。職長がくるりと振りかえって、職場を見廻わした。急に皆が真面目な顔をして、機械をいじる真似をした。我慢が出来なくて、誰か隅の方で、プウッと吹き出してしまった。
――いま/\しい奴だ!
硝子戸を乱暴に開けて、中へ入った。
――自分の首でも気をつけろ、馬鹿!
昼休みには、森本と重な仲間が四人同じ所に坐って、もう一度綿密に考えを練った。
――女の方はどうかな。
――戦術としてもな。ハヽヽヽヽ。
――そうだよ。
お君は余程離れた向う隅で、仲間に何か一生懸命しゃべっているのが見えた。顔全部を自由に、大げさに動かしながら、口一杯でものを云っている。お君がそこにすっかり出ていた。――森本はその女に自分の気持をチットモ云えないことを、フト淋しく思った。飯が終る頃、お君が食器を持ったまゝ皆のいる所を通った。
――どうだ?
――四分の一位。別に反対の人はないのよ。それでも女は一度も出つけ[#「出つけ」に傍点]ないでしょう。
――うん。
――でも、頑ん張ってみる。
――頼む。
――森さん、今日は「首」を投げてやってよ。首になったら、皆で養ってあげるから。
お君は明るく笑って、スタンドへ行った。
――それから「偉い方」はどうかな。
と森本が仲間にきいた。
――事務所ではまだ勿論「工場大会」のことには気付いてはいないんだが、対策はやってるだろう。――給仕が云ってた。自動車で専務がやってきたって。工場長が電話で呼んだらしい。ところが専務は気もでんぐり返えして、馳け廻ってるんだ。まだ/\工場どころでないらしいんだ、
――こゝは俺達のつけ[#「つけ」に傍点]目さ。
脱衣場は集合場になる「食堂」と隣り
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