なかった。
 ――ね、君ちゃん、お客さんのふり[#「ふり」に傍点]をして、チリ紙でも買って来てくれ。
 ――そうね。変んだ。あすこが分ることなんて絶対にない筈だわ。
 お君は小走りに明るい洋品店の中に入って行った。森本は少し行った空地の塀で待っていた。――一寸して、お君の店を出てくる姿が見えた。
 ――どうした?
 ――大変らしい。
 お君は息をきっていた。
 ――おかみさんが声を出して云えないところを見ると、中に張り込んでいるらしいわ。お釣りを寄こすとき、私を早く出ろ、早く出ろという風に押すのよ。――
 悪寒《おかん》が彼の背筋をザアーッ、と走った。明るかったら、彼の顔は白ちゃけた鈍い土のように変ったのを、お君が見たかも知れなかった。それは専務をとッちめた彼らしくもなかった。
 ――フム、何んだろう。ストライキのことかな。彼の舌が不覚に粘った。
 ――何んにしても、この辺危いわ。
 彼等は明るい大通りをよけた。集会のある仲間の家に一寸顔を出した。心配すると思って、そのことは云わなかった。二三人来ていた。皆興奮して、元気よく燥《はし》ゃいでいた。――彼は自分の家が気になった。そして咽喉
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