がゐた。それは市内商店の依頼を受けると、道化の恰好をして、辻々に立ち、滑稽な調子で、その廣告の口上を云ふ。それに太鼓や笛が加はる。――それが一度留置場の外の近所でやつた。拍子木が凍えた空氣にヒヾでも入るやうに、透徹した[#「透徹した」は底本では「透轍した」]響を傳えると、道化した調子の口上が聞えた。
 スワツ※[#感嘆符二つ、1−8−75] それは文字通り「スワツ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」だつた。留置場の中の全部は「城取り」でもするやうに、小さい、四角な高い處につけてある窓に向つて殺到した。遲れたものは、前のものゝ背に反動をつけて飛び乘つた。そして、その後へも同じやうに外のものが。――「音」には佐多ばかりではなかつたのだ!
 彼は夜、何遍も母の夢を見た。殊に母が面會に來た日の夜、ウツラ/\寢ると母の夢を見、又寢ると母の夢を見………それが朝迄何回も續いた。
「お前やせたねえ。顏色がよくないよ。」
 面會に來た母が彼の顏を見ると、見たゞけで息をつまらしてさう云つた。
「お前が早く出てきてくれるやうにツて、佛樣に毎日お願ひしてるよ。」母が皺くちやの汚れたハンカチを出して、顏を覆つた。母の「佛樣」と云ふのは死んだ父の事だつた。奇麗好きな母が、こんなにハンカチを汚してゐることが彼の胸をついた。母は然し、何時ものやうにワケも分らない事をクド/\云つて、すゝり上げた。彼は外方を向いてゐた。その合間に、彼の着物の襟の折れてゐるのを、手をのべて直してくれた。彼はぎこちなく首を曲げて、ぢつとしてゐた。[#「ゐた。」は底本では「ゐた」]母の匂ひを直接に顏に感じた。
 留置場に歸つて、母の差入れてくれたものを解いてみた。色々なものゝ中に交つて、紫色した小さい角瓶の眼藥が出てきた。佐多が家にゐたとき、何時でも眠る前に眼藥を差す習慣があつた。
「やつぱりお母アさ。面會はお母アか?」隣りで、着物を解くのを見てゐた不良少年が、それを見て口を入れた。「俺にだつて、お母アはゐるんだよ。」
 佐多はそれから四五日して警察を出された。
 彼は、自分でも自分が分らない氣持で外へ出た。――だが、確かに、それは外だつた。明るい雪に「輝いて[#「「輝いて」はママ]ゐる外にちがひなかつた。彼は外へ出た瞬間目まひを感じた。とにかく「外」だ!○○の家がある。××屋がある。×××橋がある。どれも皆見覺えがある。空、そして電信柱、犬! 犬までが本當にゐる。子供、人、「自由に」歩いてゐる人達、何より自由に!
 あゝ、とう/\この世の中に歸つてきた!
 彼は其處を通つてゐる人に、男でも、女でも、子供にでも何か話しかけ、笑ひかけ走り廻りたい衝動を感じた。それはそして少しの誇張さへもない氣持だつた。彼は自分の胸をワク/\と搖ぶつて、底から出てくる喜びをどうする事も出來なかつた。「とう/\、とう/\出てきた!」彼は思はず泣き出した。泣き出すと、後から、後からと心臟の鼓動のやうに、ドキを打つて涙があふれてきた。彼は、道を歩いてゐる人が立ち止つて彼の方を不審に見てゐるのもかまはずに、聲を出して、しやくり[#「しやくり」に傍点]上げた。彼は何も考へなかつた。自分以外の[#「自分以外の」に傍点]誰のことも、何も! そんな餘裕がなかつた。
「とう/\出た! とう/\※[#感嘆符二つ、1−8−75]」

 ――佐多が出たといふ事が一人から一人へ、各監房にゐるものに傳つて行つた。[#「行つた。」は底本では「行つた」]
 渡は別にどういふ感じもそれに對しては起さなかつた。何も好きこのんで監房にたゝき込まれてゐる必要はないのだから、よかつたとは思つた。彼は佐多をあまり知らなかつた。同じ運動にゐても、會社員――インテリゲンチヤといふものと、矢張り膚が合はなかつた。別にイヤではなかつた。無關心でゐた、と云つてよかつた。
 然し工藤は、龍吉などゝ同じやうに、かういふインテリゲンチヤがどし/\運動の中に入つてきて、自分達の持てない色々の方面の知識で、ともすれば經驗の少ない向ふ見ずな一本調子になり易い自分達の運動に、厚さと深さとを加へなければならない、と思つてゐた。勿論佐多などには、それらしい多くの缺點はあるにしても、裏にゐてもらつて、その都度――彼でなければならない役に、役立つて貰へればよかつた。殊に工藤は、この方面にはまだ/\自分達が澤山の事をしなければならないものゝある事を考へてゐた。

             ×        ×        ×

 取調べは××の氣狂ひじみた方法で、こゝには書き切れない(それだけで一册の本となすかも知れない)色々な慘虐な稗話[#「稗話」はママ]を作つて、ドシ/\進んで行つた。そして「事實」の確定したものは、札幌の裁判所へ順繰りに送られて、豫審へ廻はされた。
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