はり」に傍点]、といふのは十中の八、九もう觀念しなければならない事を意味してゐたからだつた。[#「だつた。」は底本では「だつた」]
演武場を出るときは、髮を長くのばしてゐたのを知つてゐた龍吉は、彼が地膚の青いのが分る程短く刈つて[#「刈つて」は底本では「刈つつて」]ゐたのに氣付いた。「頭は?」
木下はフト暗い顏をした。
「あんまり、グン/\やられるんで刈つてしまつた。」
持物が※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、37−20]つてしまうと、巡査が木下をうながした。出しなに、木下は然し、何かためらつたやうに巡査に云つてゐる、すると、巡査は龍吉のところへ來て、面倒臭さうな調子で「木下が、煙草があつたら君から貰つてくれないかつて云つてゐるんだが。」と云つた。
さうだ! 氣付いた。――組合でも、木下は煙草だけは皆から一本、二本と集めて、何時でも甘さうにのんでゐた。札幌へ護送される木下のために、せめて煙草だけでも贈ることが出來ることを龍吉は喜んだ。それが何よりだつた。彼は、まるで、周章てた人のやうに、自分の持物のところへ走つて、急いでバツトの箱を取り出した。所が何んといふ事だ、一箇しか無い、しかも、それが輕いぢやないか! 意地の惡い時には、惡いものだ。三本! たつた三本しか入つてゐなかつた。
「君、三本しか無いんだ。」
「いゝ、いゝ! 本當に澤山! 有難う、有難う。」木下は子供が頂戴々々をするときのやうに、兩手を半ば重ねて出した。
「一本で澤山だ!」
側に立つてゐた巡査がいきなり二本取り上げてしまつた。瞬間二人は、二人とも「もの」も云へず、ぼんやりした。
「のませてやる事すら、過ぎた事なんだぜ!」
何が「ぜ」だ! 龍吉は身體が底からブル/\顫はさつてくる興奮を感じた。然し、
「お願ひです。僅か三本です。それに木下君は特に煙草……。」
みんな云はせなかつた。「誰が、僅か三本だつて云ふんだ。」
木下は石のやうな固い表情をして、だまつてゐた。たつた一本のバツトをのせたきりになつてゐる彼の掌が分らない程に顫えてゐた。――二人が出て行つてしまつてから、龍吉は木下の氣持を考へ、半分自分でも泣きながら巡査の返へしてよこしたバツトを粉々にむしつて[#「むしつて」に傍点]しまつた。
「えツ糞、えツ糞、糞ツ! 糞ツ! 糞ツ! 糞ツ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」
三日になり、四日になり、十日になる、然しこれは、そんな風に單純に算えてしまふ事が出來ない長さ――無限の長さのやうに思はれた。渡や工藤や鈴本などはそれでもさういふ場所の「退屈」に少しは慣れてゐた。然し又、たとひ同じやうに慣れてゐないとしても、龍吉や佐多にくらべて、太い、荒い神經を持つてゐたので、よりそれには堪え得た。殊に佐多は慘めに參つてしまつた。
佐多の入つてゐた處は渡のところから、さう離れてはゐなかつた。夜になり、佐多は身體の置き處もなく、話もなく、イラ/\するのにも中毒して、半分「バカ」になつたやうに放心してゐると、幾つにも扉をさえぎられた向う、から、低く、
[#ここから3字下げ]
夜でも 晝で――エも
牢屋は暗い。
いつでも 鬼めが
窓からのぞく。
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歌ふのが聞えてきた。渡が歌つてゐるのだ。立番の巡査もさう干渉しなくなつてゐるらしかつた。
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のぞことまゝよ、
自由はとらはれ、
×はとけず。
[#ここで字下げ終わり]
一番後の「×はとけず」の一聯に、渡らしい底のある力を入れて歌つてゐるのが分つた。そこだけを何度も、必ず繰り返して歌つた。彼には渡の氣持が直接《ぢか》に胸にくる氣がした。
佐多には、それが何時でも待たれる樂しみだつた。きまつて夕暮だつた。佐多は何時もなら、そんな歌は彼がよく輕蔑して云ふ言葉で「民衆藝術」と片付けてしまつたものだつた。それがガラリと變つてしまつた。然し又歌でなくても、外を歩く人の單純なカラ/\といふ音、雪道のギユン/\となる音、さういふものにも、よく聞いてみて複雜な階調のあるのを初めて知つたり、何處からか分らないボソ/\した話聲に不思議な音樂的なデリケートなニユウアンスを感じたりした。天井に雪が降る微かにサラ/\する音に一時間も――二時間も聞き入つた。すると、それに色々な幻想が入り交り、彼の心を退屈から救つてくれた。彼は何も要らなかつた。「音」が欲しかつた[#「欲しかつた」は底本では「欲しがつた」]。彼の心が少しでもまだ「生物」である證據として、動くことがあるとすれば、それは「音」に對してだけだつた。一緒にゐる不良少年の女をひつかける話や、浮浪者の慘めな生活などは、何時もならキツト佐多の興味をひいた。が、それは二三日すると、もう嫌になつてしまつてゐた。
小樽の一つの名物として「廣告屋」
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