を入れて、思はず息を殺してゐたが、ホツとすると、急に不自然に大聲で笑ひ出した。が、「痛た、痛た、痛た……。」と、笑聲が身體に響いて、思はず叫んだ。

 演武場では[#「演武場では」は底本では「濱武場では」]、齋藤が×××れたので氣が×ひかけてゐる、と云つてゐた。それは、齋藤が取調べられて、「お定まり」の××が始まらうとしたとき、突然「ワツ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」と立ち上ると、彼は室の中を手と足と胴を一杯に振つて、「ワア――、ワア――、ワア――ツ※[#感嘆符二つ、1−8−75]」と大聲で叫びながら走り出した。巡査等は初め氣をとられて、棒杭のやうにつツ立つてゐた。皆は變な無氣味を感じた。××、それが頭に來た瞬間、カアツとのぼせたのだ、氣が狂つたのだ、――さう思ふと、誰も手を出せなかつた。
「嘘《たら》だ。やれツ!」
 司法主任が鉛筆を逆に持つて、聽取書の上にキリ/\ともみこみながら、低い、冷たい聲で云つた。巡査等は無器用な舞臺の兵卒のやうに、あばれ馬のやうに狂つてゐる齋藤を取りかこんだ。(以下十五行削除)
 齋藤はそのまゝ十日も取調べをうけなかつた。そのうち三日程演武場にゐて、監房へ移されて行つた。が、××があつてから、齋藤は今迄よりは眼に見えて、もつと元氣になつた。然しその元氣に何處か普通でない――自然でない處があつた。何か話しかけて行つても、うつかりしてゐる事が多く、めづらしく靜かにしてゐる時には、獨りでブツ/\云つてゐた。

 澤山の勞働者が次から次へと、現場着のまゝ連れられてきた。毎日――打ツ續けに十日も二十日も、その大檢擧が續いた。非番の巡査は例外なしに一日五十錢で狩り出された。そして朝から眞夜中まで、身體がコンニヤクのやうになる程馳けずり廻はされた。過勞のために、巡査は付添の方に廻はると、すぐ居眠りをした。そして又自分達が檢擧してきた者達に向つてさへ、巡査の生活の苦しさを洩らした。彼等によつて××をされたり、又如何に彼等が反動的なものであるかといふ事を色々な機會にハツキリ知らされてゐる者等にとつて、さういふ巡査を見せつけられることは「意外」な事だつた。いや、さうだ、矢張り「そこ」では一致してゐるのだ。たゞ、彼等は色々な方法で目隱しをされ、その上催眠術の中にうま[#「うま」に傍点]/\と落されてゐるの[#「ゐるの」は底本では「ゐの」]だつた。では、どうすればよかつたか? 誰が一體その目隱しを取り除けてやり、彼等の催眠術を覺ましてやらなければならないのだ?――これア案外さう俺達の敵ではなかつたぞ、龍吉も他の人達と同じやうにさう思つた。
 終ひには、檢擧された人の方で、酷き使はれてゐる××が可哀相で見てゐられない位になつた。どんなボロ工場だつて、そんなに[#「そんなに」は底本では「ぞんなに」]「しぼり」はしなかつた。
「もう、どうでもいゝから、とにかく決つてくれゝばいゝと思ふよ。」頭の毛の薄い巡査が、青いトゲ/\した顏をして、龍吉に云つた。「ねえ、君、これで子供の顏を二十日も――えゝ、二十日だよ――二十日も見ないんだから、冗談ぢやないよ。」
「いや、本當に恐縮ですな。」
「非番に出ると――いや、引張り出されると、五十錢だ。それぢや晝と晩飯で無くなつて、結局たゞで働かせられてる事になるんだ、――實際は飯代に足りないんだよ、人を馬鹿にしてゐる。」
「ねえ、水戸部さん。(龍吉は名を知つてゐた。)貴方にこんな事を云ふのはどうか、と思ふんですが、僕等のやつてゐることつて云ふのは、つまり皆んな「そこ」から來てゐるんですよ。」
 水戸部巡査は急に聲をひそめた。(以下四十七行削除)
 龍吉は明かに興奮してゐた。これ等のことこそ重大な事だ、と思つた。彼は、今初めて見るやうに、水戸部巡査を見てみた。蜜柑箱を立てた臺に、廊下の方を向いて腰を下してゐる、厚い巾の廣い、然し圓るく前こゞみになつてゐる肩の巡査は、彼には、手をぎつしり握りしめてやりたい親しみをもつて見えた。頭のフケか、ホコリの目立つ肩章のある古洋服の肩を叩いて、「おい、ねえ君。」さう云ひたい衝動を、彼は心一杯にワク/\と感じてゐた。

         九

 龍吉が演武場から隔離される二三日前の事だつた。夜の十時頃、組合で知り合つてゐた木下といふのが、巡査と一緒に演武場に入つてきた。そして二人で、彼がそこに殘して[#「殘して」は底本では「殘しに」]行つた持物を※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、37−11]めにかゝつた。龍吉が眼を覺ました。
「オ。」龍吉が低く聲をかけた。
 木下は龍吉の方を見ると、頭をかすかに振つたやうだつた。――「札幌廻はしだ。」木下が低くさう云つた。
 龍吉は「う?」と云つたきり、いきなり何かに心臟をグツと一握りにされた、と思つた。札幌廻はり[#「札幌廻
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