少し離れて、よそ[#「よそ」に傍点]の人達の探す手先を見てゐた。電燈のすぐ横にゐるせいか、父の顏が妙にいかつく[#「いかつく」に傍点]見えた。
知らない人は五人ゐた。一人はひげ[#「ひげ」に傍点]を生やした一番上の人らしく、大きな黒い折鞄を持つて、探がしてゐる人達に何か云つた。云はれた人達は、その通りにした。巡査が二人ゐた。あとの二人は普通の服を着てゐた。――お父さんは何をしたんだらう。この人達はそして何をしやうとしてゐるんだらう。よその人は幸子の學校道具に手をかけたり、本を一册々々倒に振つたりした。色々な遊び道具を疊の上へ無遠慮に開けた。幸子は妙に感情がたかぶつてきた。そして、それが眼の底へヂクリ、ヂクリと涙をにぢませてきた。
「それは子供のばかりです……。」
母が立つたまゝ、低い聲で云つた。よその人は生《なま》返事を口の中で分らなくして、然しやめなかつた。
一通りの取調べが終ると、皆は一度室の中をグル/\見廻はして、出て行つた。襖が閉つた。――室が暗くなつた。幸子は危くワツと泣き出す處だつた。
父と折鞄が始め低く何か云つてゐた。だん/\聲が高くなつてきて、何を話してゐるか幸子にも聞えてきた。
「とにかく來て下さい。」折鞄が云つてゐる。
「とにかくぢや分らないよ。」
「こゝで云ふ必要がないんだ。來て貰えばいゝんだ。」だん/\言葉がぞんざいになつて行つた。
「理由は?」
「分らん。」
「ぢや、行く必要は認めない。」
「認めやうが、認めまいが、こつちは…………。」
「そんな不法な、無茶な話があるか。」
「何が無茶だ。來れば分るつて云つてるぢやないか。」
「何時もの手だ。」
「手でも何んでもいゝ。――とにかく來て貰ふんだ。」
父が急に口をつむんでしまつた。と、力一杯に襖が開いて、父が入つてきた。後から母がついてきた。五人は次の間に立つて、こつちを向いてゐる。
「ズボン。」
父は怒つた聲で母に云つた。母は默つてズボンを出してやつた。父はズボンに片足を入れた。然し、もう片足を入れるのに、何度も中心を失つてよろけ、しくじつた。父の頬が興奮からピク/\動いてゐた。父はシヤツを着たり、ネクタイを結んだりするのにつゝかゝつたり、まごついたりして、――殊に、ネクタイが仲々結べなかつた。それを見て、母が側から手を出した。
「いゝ/\!」父は邪險にそれを拂つた。父は妙に周章てゝゐた。
母はオロ/\した樣子で父に何か話しかけた。
「お互に話してもらつては困る。」次の間から、折鞄がピタリと釘を打つた。
又幸子の寢てゐる室が暗くなつた。ドヤドヤと澤山の足音が亂れて、土間に降りたつてゐる。――表の戸が開いた。一寸そこで足音が澱むと、何か話聲が聞えた。幸子がたまらなくなつて、寢卷のまゝ起き立つた。ブル、ブルンと一瞬間で頭から足の爪先まで寒氣がきた。襖を細目に開けて覗いた。――父は上り端に腰を下して、かゞんで靴の紐を結んでゐた。よその人は土間につゝ立つてゐる。母はやつぱり胸に手をあてたまゝ、柱に自分の身體を支えて、青白い顏をしてゐる。變な沈默だつた。
不圖――不圖幸子は分つた氣がした。それもすつかり分つた氣がした。「レーニンだ!」と思つた。これ等のことが皆レーニンから來てゐることだ、それに氣付いた。色々な本の澤山ある父の勉強室に、何枚も貼りつけられてゐる寫眞のレーニンの顏が、アリ/\と幸子に見えた。それは、あの頭の禿げた學校の吉田といふ小使さんと、そつくりの顏だつた。そして、それに――組合の人達がくる度に、父と一緒に色々な歌をうたつた。幸子は然し、子供の歌に對する敏感さから、大人達の誰よりも早く「×旗の歌」や「メーデイの歌」を覺えてしまつた。幸子は學校でも家でも「からたちの唄」や「カナリヤの歌」なぞと一緒に、その歌を意味も分らずに、何處ででも歌つた。それで、何度も幸子は組合の人から頭を撫てもらつた。――父は決して惡い人でないし、惡いこともする筈がない。幸子には、だからそれは矢張り「レーニン」と「×旗の歌」のせいだとしか思へない氣がした。――さうだ、確かにそれしかない。
父が立ち上つた。――幸子は火事の夜のやうに、齒をカタ/\いはせてゐた。――皆外へ出た。母の青い顏がその時動いた。唇も何か云ふやうに動いたやうだつた。が、言葉が出なかつた。出たかも知れないが、幸子には聞えなかつた。母の、身體を支えてゐる柱の手先きに、力が入つてゐるのが分つた。――父は一寸帽子をかぶり直し、母の顏を見た。それから、チヨツキのボタンの一つかゝつてゐたのを外し、それを又かけ直した。落付きなく又母の顏を見た。――父の身體が半分戸の外へ出た。
「幸《ゆき》を氣付けろ…………。」
かすれた乾いた聲で云ふと、父は無理に出したやうな咳をした。
母は後から續いて外へ出た。
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