警察に犧牲になつて行く必要が起きた。渡が木村に頼んで、色々注意を話してきかせた。
「少しなぐられるかも知らないけれども、我慢してくれよ。」と云つた。
「嫌だ!」
 一口でさう云ひ切つた。
 そんな答をちつとも豫期してゐなかつた渡が「えゝ?」と反射的に云つたきり、かへつて默つたまゝ木村の顏を見た。[#「見た。」は底本では「見た」]
「俺アそつたら事して、一日でも二日でも警察さ引ツ張られてみれ、飯食えなくなるよ。嫌だ!」
「君は俺達の運動といふ事が分らないんだな。」
「お前え達幹部みたいに、警察さ引ツ張られて行けば、それだけ名前が出て偉くなつたり、名譽になつたりすんのと違んだ。」
 渡は息をグツとのんだまゝ、すぐ何か云へず、默つた。そこにゐた龍吉は「これア惡い空氣だ。」と思つた。組合の幹部と平組合員が「こんな事で」にらみ合つてゐては困る、と思つた。
「今のところ、まア別人に行つて貰ふことにしてもいゝさ。」
 龍吉は是非さう云はなければならなかつた。――この木村にとつて、今度の事は、だから、「手をひく」いゝ動機だつた。こゝから出たら、さつぱりとやめやうと思つてゐた。さう決めてゐた。
「意久地のない野郎だ。」
 齋藤はズウと前にあつた、その木村のことを思ひ出してゐた。彼はワザと横を向いた。
「木村君、やつぱり組合員は組合員らしくするんだなア。殊にかういふ事になれば、俺達がしつかりしなけア困る時だ、と思ふんだ。」
 龍吉はストーヴの温さで、かゆくなつた前股のあたりをさすりながら云つた。木村は然し默つてゐた。龍吉はフト文字通り戰鬪的だと云はれてゐる左翼組合に、案外かういふもの等が數の上でゝも中樞をなしてゐることは、さう輕々しく考へ捨てることの出來ない事だと思つた。
 木村の紹介で、最近組合に入つた柴田は兩膝をかゝえて、皆を見てゐた。彼は木村と同じ蒲團に寢るので、彼が心底からぐしやん[#「ぐしやん」に傍点]と參つてゐることを聞かされて知つてゐた。柴田自身も、然し、初め參つたとは思つた。殊に組合で寢こみを襲はれた時血の氣がなくなつた。然し勿論こんなことは堪え切つて行かなければならない事だと、普段から思つてゐた。自分で、さういふ點では殊に至らないつまらないものであると思つてゐたから、彼は人一倍一生懸命になつた。[#「。」は底本では「、」]彼はだから、渡や工藤や龍吉さういふ人達の一擧一
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