沙魚が釣れましたね、)
 と彼が挨拶のかはりに云ふと、
(今日は天気の具合が好いから、もすこし釣れさうなもんですが、釣れません、)[#「釣れません、)」は底本では「釣れません、」」]
(やつぱり天気によりますか、なあ、)
(あんまり、明るい、水の底まで見える日は、いけないですよ、今日も、もすこし曇ると、なほ好いんですが、)
(さうですか、なあ、)
 彼はちよつと空の方を見た。薄い雲が流れてそれが網の目のやうになつてゐた。彼はその雲を見た後に川の土手の方と行かうと思つて、板橋の上に眼をやつたところで橋の向ふ側に立つて此方の方を見てゐる若い女を見付けた。紫の目立つ銘仙かなにかの派手な模様のついた着物で小柄なその体を包んでゐた。ちよつと小間使か女学生かと云ふふうであつた。色の白い長手な顔に黒い眼があつた。彼は何所かこのあたりの別荘へ来てゐる者だらうと思つたきりで、それ以上別に好奇心も起らないので、女のことは意識の外に逸してその土手を上手の方へと歩いて行つた。
 二丁ばかりも行くともう左側に耕地がなくなつて松原の赤土の台地が来た。其所にも川の向ふへ渡る二本の丸太を並べて架けた丸木橋があつたが、
前へ 次へ
全35ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング