であつた。彼は松原に沿うた櫟林の中を縫ふてゐる小路を抜けて行つた。それはその海岸へ来てから朝晩に歩いてゐる路であつた。櫟の葉はもう緑が褪せて風がある日にはかさかさと云ふ音をさしてゐた。
その櫟林の先はちよつと広い耕地になつてゐて黄いろに染まつた稲があつたり大根や葱の青い畑があつた。其処には、櫟林に平行して里川が流れてゐて柳が飛び飛びに生えてゐる土手に、五六人の者がちらばつて釣を垂れてゐた。人の数こそ違つてゐるがそれは彼が毎日見かける趣であつた。その魚釣の中には海岸へ遊びに来てゐる人も一人や二人は屹と交つてゐた。そんな人は宿の大きなバケツを魚籃の代りに持つてゐて、覗いてみると時たま小さな鮒を一二尾釣つてゐたり、四五寸ある沙魚を持つてゐたりする。
彼が歩いて来た道がその里川に支へられた所には、上に土を置いた板橋がかかつてゐた。その橋の右の袂にも釣竿を持つた男が立つてゐた。それは鼻の下に靴ばけのやうな髭を生やした頬骨の出た男で、黒のモスの兵児帯を尻高に締めてゐた。小学校の教師か巡査かとでも云ふ物腰であつた。彼はその足元に置いてある魚籃を覗いて見た。其所には五六尾の沙魚が這入つてゐた。
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