きませう、)
彼は到頭女の手を握つた。……
路はまた狭い暗い通りへと曲つた。譲は早く帰つて、下宿の二階で自分の帰りを待ちかねてゐる女に安心さしてやりたいと思つたので、爪先さがりになつた傾斜のある路をとつとと歩き出した。彼の眼の前には無邪気なおつとりした女の顔が見えるやうであつた。
……(私は死ぬるより他に、この体を置くところがありません、)家を逃げ出して東京へ出てから一二軒女中奉公をしてゐる内にある私立学校の教師をしてゐる女と知合になつて、最近それの世話で某富豪の小間使に行つてみると、それは小間使以外に意味のある奉公で、行つた翌晩主人から意外の素振りを見せられたので、その晩の内に其所を逃げ出してふらふらと海岸へやつて来たと云つて泣いた女の泣き声がよみがえつて来た。
譲は自分の右側を歩いてゐる人の姿に眼を着けた。路の右側は崖になつてその上にただ一つの門燈が光つてゐた。右側を歩いてゐる人は此方を振り返るやうにした。
「失礼ですが、電車の方へは、かう行つたらよろしうございませうか、」
それは若い女の声であつた。譲には紅いその口元が見えたやうな気がした。彼はちよつと足を止めて、
「さ
前へ
次へ
全35ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング