ので、見なおしてみたがもうそれらしい姿は見えなかった。
彼は何時《いつ》の間にか懐《ふところ》に入れていた雑誌を執《と》りだして読みはじめた。読んでいるうちに面白くなって来たので、もうほかのことはいっさい忘れてしまって夢中になって読み耽《ふけ》っていた。それは軍備縮少の徹底的主張とか、生存権の脅威から来る社会的罪悪の諸相観とか、華盛頓《ワシントン》会議と軍備制限とか、そう云うような見出しを置いた評論文であった。そして、実生活の煩労《はんろう》から哲学と宗教の世界へと云うような、思想家として有名な某文士の評論を読みかけたところで、頭を押しつけられるような陰鬱《いんうつ》な感じがするので、読むことを止《や》めて眼をあげると、もう陽が入ったのか四辺《あたり》が灰色になっていた。旅館で飯《めし》の準備《したく》をして待っているだろうと思ったので、帰ろうと思って雑誌を懐に入れながらふと見ると、右側のちょっと離れた草の生えた処に女が一人低まった方に足を投げだし、双手《りょうて》で膝を抱くようにして何か考えるのか首を垂れている。それは衣服《きもの》の色彩の具合がさっき板橋のむこうで見た女のようであ
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