いのですね」
 公子は笑って言った。
「私は世に出る考えがないのですから」
 日が暮れてからまた酒になった。公子は孔生のあいてをしながら言った。
「今晩じゅうぶん懽《かん》を尽しましょう、明日はまたどんなさしさわりが起らないともかぎりませんからね」
 そこで僮子を呼んで言った。
「お父さんが寝ているかいないかを見て、寝ているなら、そっと香奴《こうど》を喚《よ》んでこい」
 僮子は出て往ったが、やがて繍《ぬい》のある嚢《ふくろ》に入れた琵琶を持ってきた。しばらくして一人の侍女が入ってきたが、紅く化粧をした綺麗な女であった。公子はその女に、
「湘妃《しょうひ》を弾け」
 と言いつけた。女は象牙の撥《ばち》を糸の上にはしらした。その撥が激しく調子が揚って往くと悲壮な美しさが感じられた。その節まわしは孔生がこれまで聞いたことのないものであった。公子はまた女に言いつけて大きな觴《さかずき》に酒をつがした。
 夜が更けてからはじめて罷《や》めた。そして、次の日は早く起きて共に読書したが、公子ははなはだ物わかりがよくて、一目見て暗記することができた。二三箇月の後に文章を作らしてみると、構想が奇警《き
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