中旬《なかごろ》に死んだ。与右衛門はもう年をとっていたし、女《むすめ》も大きいので養子をして隠居しようと思って、今度死んだ女房の甥《おい》の金五郎《きんごろう》と云うのを養子にもらってお菊と夫婦にしたところで、翌年の正月の四日|比《ごろ》からお菊が怪しい病気になり、二十三日になると口から泡をふいて床の上をのたうちまわって、
「苦しい、苦しい、何人《だれ》ぞいねえのか」
 と、云い云い気絶した。与右衛門と金五郎が傍《そば》へ往って介抱していると、お菊は呼吸《いき》を吹きかえしたが与右衛門をぐっと睨《にら》みつけた。
「おのれは、よくもよくも絹川で、わしを殺したな、わしはお菊じゃない、わしは二十年前に、おのれに殺された累じゃ、※[#「女+朱」、第3水準1−15−80]な女子《おなご》を女房にもらうために、わしを殺したから、おのれの女房は、皆とり殺した、これからおのれの命をとる番じゃ」
 与右衛門は驚いて法蔵寺へ逃げ、金五郎は親の許《もと》へ逃げて往った。その晩は二十三夜で村の者が隣家に集まっていた。村の者はお菊のことを聞いて与右衛門の家へ往った。お菊は村の人を見るとまた叫んだ。
「わしは与
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