傷《そこな》うたか」
「八百里傷いました」
「馬鹿者をどうした」
「喰ってしまいました」
「馬鹿者は憎むべきだが、お前もあまりひどいことをやったものだ」
毅はその晩凝光殿へ泊った。翌日になると洞庭君は凝碧宮に饗宴を設けて御馳走をした。その庭には広楽を張ってあって、銭塘の破陣楽《はじんがく》をはじめ様ざまの音楽を奏した。
翌日洞庭君は新たに清光閣に盛宴を張った。銭塘君は酒に酔って毅に言った。
「わしは先生に言いたいことがある、ぜひ女姪《めい》を家内にして貰いたい」
毅は銭塘君の威圧的な言葉が厭であった。
「私は王の剛快明直なやり方は、非常に感心しておりますが、そういうような結婚は、厭でございます、これは大王の御判断を仰ぎたいと思います」
銭塘君は自分の言ったことに気が注《つ》いた。
「これはわしが悪かった、どうかこらえてくれ」
毅と銭塘君はそのときから知心の友となった。翌日になって毅が帰ることになると、洞庭夫人が潜景殿《せんけいでん》で送別の宴を張った。そこへは宮中の者が男も女も皆出ることを許された。
夫人の傍にはいつの間にか※[#「さんずい+徑のつくり」、第3水準1−86−
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