》か早く宮中へ行って、大きな声を出さないように言ってこい」
 一人の侍臣はまた宮中の方へ行った。毅は銭塘とは何人であろうかと思った。
「銭塘とおっしゃるのは、何人《どなた》のことでございます」
「銭塘とは、わしの弟じゃ、堯《ぎょう》の時の洪水は、あれが怒ったから起ったのじゃ」
 不意に百雷の落ちかかるような大音響が起って、殿堂が崩れるように揺ぎ渡った。と、赤い大きな竜が火を吐きながら空に登って行くのが見えた。毅はびっくりして倒れてしまった。
「怖れることはない、先生に害はない」
 洞庭君は起《た》ってきて倒れている毅を助け起した。毅はやや安心したものの気味が悪くてたまらないので帰ろうと思った。
「今日はこれでお暇《いとま》いたします」
「そう急がないが好い、一つわしの志をさしあげよう」
 洞庭君は饗宴の席を設けさして毅と盃をあげた。洞庭君は酒を飲みながら毅が信義を重んじてわざわざ女の手紙をとどけてくれた礼を言って喜んだ。
 軟らかな風がどこからともなしに吹いてきて、笑声が聞え、その笑声に交って笛や簫《しょう》の音《ね》が聞えてきた。毅は不審に思って外の方を見た。たくさんの女の姿が空中に
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