役人の表座敷には遅くまで灯が灯って、監物一行が酒の饗応《ちそう》になっていた。
「彼《あ》の時の坊主の顔と云ったら、なかったぞ」
酔の廻った監物はこう云って床の間の方を見た。微暗い蝋燭の光を受けて不動の木像が立っている。
「坊主にはちと気の毒であったが、彼の不動奴、ちょっと面白い恰好じゃないか、なるほど、運慶か湛慶であろうよ」
その時監物の耳に怪しい物の音が聞えた。監物は耳をかたむけた。
とん、とん、とん、とん、……
それは陣太鼓の遠音であった。
「彼の音が、彼の音が聞えるか」
監物は右の手をあげてその手の掌で、皆の呼吸《いき》を押しつけるようにした。
「聞えるか」
臣《けらい》の耳には裏山の林に吹きつける風の音が聞えるばかりであった。
「何も聞えません」と、臣の一人が云った。
「そうか、俺の耳には陣太鼓の音が聞えたが」
監物はまた耳をすましたが風の音より他にもう何も聞えなかった。
「陣太鼓のように思ったが、空耳であった、考えてみれば今の世に、陣太鼓の鳴ることもないて」
監物は忌いましそうな顔をして、膳の上の盃を執ってぐっと一呼吸《ひといき》に飲んで、また不動の方に眼を
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