稲田に指をやって、
「一度この薬師様が繁昌して、四方から参詣人が集まって来て、このあたりに薬師町が出来て、演戯《しばい》小屋なども出来たことがありました」
と、云って丘の懐になった処に生えている孟宗竹の藪を指さして、
「あすこが、演戯小屋でありました」と教え、それから詞《ことば》を続けて、薬師町の歴史を話してくれた。その話によると、明治のずっと初めの比、四国を巡礼している足の悪い遍路が、車を杖で運んでその薬師まで来たが、薬師の霊験のあることを聞いて、そこへ車を停めて祈願を込めていると、数日の後に不思議に足が立ったので、躄車を置いたまま帰って往った。それを附近の者が知って参詣を始めると、それを聞きつけて遠くの方からも続々と来て、まず旅館が出来、物売る店が出来、演戯小屋が出来るというふうで、遂に薬師町が出来たのであった。
その薬師町の繁昌は明治二十年比まで続いたが、それがみょうなことからぱったり火の消えたように衰微した。その原因というのは、「どいまつ」と云われた土居松次という博徒が、何かの怨みから白木琢次と云う者をつけ覘っていた。何んでもその琢次と云うのは松次よりも腕も口も達者で、堂々
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