往った。女房は未だ疑念が晴れなかった。
 その夜はもう二人の口に物干竿のことは登らなかった。やがて寝床に入ったところで益之助は直ぐ眠ってしまったが、女房の方はまた今晩も前夜の女《むすめ》が来やしないかと云う嫉妬に駆られているので眼が冴えるばかりであった。その晩はすこし風があって庭木の枝葉のざあざあと靡いているのが聞えた。
「もし、もし、もし」
 昨夜《ゆうべ》と同じような女の声が玄関の方でしはじめた。女房は又来たのかと憤りながら、そっと昨夜の処から出て往った。そして、竹垣に沿うて覗いて見た。果して前夜の女の姿が暗い中に見えている。女房は耳門戸を開けて傍へ寄って往った。
「よくまあ遅くお出でになりました」
 女は黙って頭をさげた。
「お気の毒でございますが、今晩も主人は留守でございます」
 女はまた何か小声で云ったが、熱した女房の胸には聞えなかった。
「主人は、この比《ごろ》、毎晩留守でございますから、お出でになりましても、当分お目にかかれますまい」
 女は二三度頭をさげて何か云ってからすうと門の方へ往ったが、前夜の木立の処でまた見えなくなった。風に吹かれている木の葉が二三枚ぎらぎらと青
前へ 次へ
全11ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング