とがありまして、それでは、またまいります」
「そうでございますか、それでは、また主人のおる時に、お出でなさいませ」
女房は睨むように女の顔を見た。女は小声で何か云いながら頭をさげて門の方へ歩いて往ったが、左側の木立の傍へ寄ったかと思うともう見えなくなった。女房は不審して見ていたが、女の姿が見えなくなったのに安心してそっと引返した。
益之助は先刻の枕のままで眠っていた。女房は己《じぶん》に秘密を知られたので狸寝入りをしていはしないかと思って、冷笑を浮べてその顔を見ていたが、益之助は何事も知らない容《ふう》で何時までも穏かな鼻息をしていた。
朝になって女房は夫がどんな顔をするであろうかと思って、時どき意味ありそうにその顔を見詰めたが、夫はしらを切っているのか、別に何とも思わないような顔をしていた。
「あなたは、昨夜《ゆうべ》、よくお寝みになれましたか」
こんなことを云っても夫は平常《ふだん》と同じような態度で、落ちつきのある返事をしながら旨そうに飯を喫《く》った。
「昨夜は、物干竿の音もしませんでしたね」
「昨夜は、やらなかったようだな」
益之助は平常《ふだん》のようにして出て
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