《わか》い女の呼吸《いき》づかいまで聞えるような気配がする。それは玄関|前《さき》のようでもあれば表庭の方のようでもある。女房はふと夫に疑念を挟んだ。時どき夫が同役の処へ往くと云って出かけて往って、夜おそく酒に酔って帰ることもあれば、何か面白いことでもあったように浮うきした調子でものを云いながら入って来ることもあった。もしかすると他に女があって、時どき先方へ往ったり、また女の方からも此方へ来て己《じぶん》の寝入るのを待って、竊《ひそか》に庭あたりで媾曳《あいびき》しているかも判らないと思いだした。と、物干竿のことも二人が媾曳の合図にしたことのような気になって来た。
「もし、もし、もし、もし」
 外の女の温かな唇が見えるように思われた。どうしても夫の隠し女であると女房は思いだした。彼女はそっと起きて奥の便所へ往く方の縁側の雨戸を開けた。月の隠れた狭い庭に冷たい風が動いていた。彼女は裸足で家の東側を通って表庭へ往ってそっと簷下を覗いて見た。其処には何人《たれ》もいなかった。彼女は庭を横切って竹垣に沿うて玄関の方へ眼をやった。色の白い痩ぎすな女が雨戸にくっつくようにして立っているのがぼんやり
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