すぐ近くになった切支丹坂《キリシタンざか》の方の空には、白い牛乳色をした入道雲のような雲が二つ盛りあがっていて、その下になった方が煙り立っていた。それは陽の反射によって火事の煙が二様に見えているのであった。
 寄宿舎の庭では和智君が帰りたがっていた。私は切支丹坂下の乗りつけの車屋へ往ったが、曳子がいないので、後から来るように言っておいて帰って来た。寄宿舎の上の簷の崩れた家の主人であろう、一人の男が寄宿舎の横の谷間のような所から這いあがって往って、崩れた崖へかかっている家具の間を彼方此方《あちこち》していたが、見ている内に軸物のような物を二つばかり拾った。地震が来るとこわれかかった家の簷がぐらぐらと動いて今にも落ちて来そうに見えたが、その男はやめなかった。
「熱海の魚見岬で、子供が草履を落したので、それが惜しくて、岩の上から覗いていて、すべり落ちて死んだお母さんがあったよ、今にあの男も死ぬるから見給え」
 私は若い友達を伴れて再び藤坂をあがって伝通院の方へと歩いた。それは砲兵工廠の火を見るためであった。線路の上に捨てられた電車は、そのまま付近の人びとの避難所になっていた。街路の左右には避
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