また山内家の家老として当時権勢のあった柴田備後の家に、そんなことがあると聞えては主人の威信にも関すると思った。賢明な彼女は男勝りのしっかりしたその腹の中へ、それをしまい込んで何人《たれ》にも話さなかった。
 それから三日ばかりしてのことであった。昼の疲れにぐっすり眠っていた彼女は、夢心地に何人かが己の額をばたばたとたたくように思ったので眼を開けて見た。前夜踊っていた赤毛の猫が枕頭へ坐って、二本の前肢を揮りあげ揮りあげ己の額を打っているところであった。それには流石の老女もびっくりした。彼女は声をあげながら飛び起きた。と、猫はそれに恐れたように飛んで出て往った。
 二度目の奇怪を見た老女は、何人にも話すまいと思っていた考えを変えて、その翌朝、起きたばかりの主人備後の処へ往って話した。
「そうか、面白いことをやりおるな」
 備後はこう云って微笑した。
「それでは、あの猫を、どういたしましょう」
「まあ、捨てて置け、好いだろう」
 備後の性質は老女もよく知っていた。彼女はもう何も云わなかった。

 備後は猟が好きであった。彼は暇さえあれば小銃を肩にして出かけて往った。秋の末になってまた少しの暇
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