ちょうと考える容《さま》であったが、
「検使に来たと見えるな、今碁を打っておるから、碁が済むまで待たしておけ」
彼は静に石をおろした。客もその後を受けて石をおろしたが、その指|端《さき》は慄えていた。彼はその時二十六歳であった。そのうちに碁が終ってしまった。彼は客と石の吟味をした後に、己《じぶん》の石を碁笥《ごけ》に入れて盤の上に置いた。
「それでは検使を迎えようか」
彼は悠々として表座敷へ往って検使を迎えた。桑名弥次兵衛は畳の上を見詰めながら元親の命を伝えた。
「確にお受けいたした、人の運が尽きると、左前となって逆道が多い、逆道で家の立って往く道理がない、長宗我部の家もここ五六年じゃ」
親実は湯殿へ往って、冷たい水で身体を洗って帰り、二人の見る前で静に自殺した。死骸は吾川郡木塚村西分へ葬った。
元親の怒に触れて死を賜わった者は、他に比江山親興、永吉飛騨守、宗安寺真西堂、吉良彦太夫、城内大守坊、日和田与三衛門、小島甚四郎、勝賀野次郎兵衛実信の八人であった。その中で比江山親興へは、中島吉右衛門、横山修理の二人が検使となって往った。親輿は長岡郡比江村日吉の城主で、長宗我部家の老臣の
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