、御主君には、信親殿の討死を御歎きの余り、せめてその姫君を千熊丸の御内室にして、それを忘れたいとの御心でございますぞ、それをお考えなさらずに、彼《あ》れ此れと申さるるは、第一御不孝の所業かと思われます」
 親信も負けてはいなかった。
「何が不孝じゃ、不義に陥ろうとしているところを、陥らせまいと思うて諌めておるのじゃ、其処許《そこもと》のような無道人に阿諛《ついしょう》を云われて、人の道を踏はずそうとしているところを、はずさせまいとするに何が不孝じゃ」
「もう、よし、云うな」
 不快な顔をして坐っていた元親は、急に立ちあがって奥の間へ入ってしまった。

 当時吉良親実は小高坂《こだかさ》――今の県立師範学校の裏手――に住んでいた。彼はその日限り、元親の前へ出仕することを止められた。久武内蔵助が仁淀川の復讐をする時節が来た。内蔵助は日々元親の傍で彼を讒謗した。
 桑名弥次兵衛、宿毛《すくも》甚右衛門の二人は、元親の命によって小高坂の邸へ遣わされた。それは天正十六年十月十四日のことであった。親実はその日客を対手にして碁を打っていた。親実は取次が報知《しら》せてくると、おろそうとした石を控えて
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