者《つかい》じゃ、左京を神にして祭るとなれば、喜んで受けられる」
木塚の親実の墓は、結構を新らしくして社として祭りだした。木塚明神と云うのがそれである。八人御先の怪異は、それといっしょにすくなくなったが、それでも時どきその御先に往き逢ったと云って、病気になったり、頓死する者があったりするので皆それを非常に恐れた。
比江山親興が、元親の検使に詰腹を切らされた時のことであった。親興は一人の家来に耳打をして、それを比江村の己《じぶん》の城へやった。それは妻子を落すためであった。親興には五人の小供があった。
親興の妻は家来の報知《しらせ》によって、五人の小供を伴れ、その夜、新改村の長福寺へ忍んで往った。長福寺の住職は比江山の恩顧を受けている者であった。住職は六人の者を離屋《はなれ》に隠して、何人《だれ》にも知らせないようにと、飯時には握飯を拵えて己《じぶん》でそれを持って往った。
「拙僧の命に代えても、奥様とお子様達は、おかくまい申します」
住職はこう云って六人の者を慰めていた。一方元親の方では、親興の妻子を失うつもりで、日吉の城へ討手を向けたところが、もう妻子は逃亡した後であったか
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