顔を出した。
「そう云う声は、たしかに民谷さん」
 伊右衛門は直助の方をきっと見た。
「奥田の小厮《こもの》の直助か、どうして此処へ」
 其の時向うの方で下駄の音がした。伊右衛門と直助は祠の後へ隠れた。下駄の音は近よって来た。それは糸盾《いとだて》を抱えた辻君《つじぎみ》姿の壮《わか》い女であった。
「こんな遅くまで、父さんは何をしていらっしゃることやら」
 小提燈を点《つ》けた女が走って来たが、よほどあわてていると見えて、辻君姿の女にどたりと突きあたった。
「これは、どうも」
 小提燈の女は丁寧に頭をさげた。辻君姿の女は其の顔に眼をつけた。
「あ、おまえは妹」
 小提燈の女も対手《あいて》に眼をつけていた。
「あなたは姉《あね》さん」
 辻君姿の女はお岩で、小提燈の女はお袖であった。お岩は物乞に往っている父親の左門を、お袖は途中で別れた与茂七の後を追うて来たところであった。お袖はお岩のあさましい姿をはっきり見た。
「あなたは、まあ、あさましい、辻君などに」
 お岩はお袖の顔をきっと見た。
「おまえこそ、与茂七さんと云うれっきとした所天《おっと》がありながら、聞けば此の比《ごろ》、味な
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