袂《たもと》をつかんだ。お袖はもう逃げられなかった。
「なんぼなんでもおまえと此の顔が」
「逢わされねえのはもっともだが、お袖さん、おまえは孝行だのう」
 お袖は袂で顔をおおって何も云わなかった。
「まあ坐るがいい、おめえがこんな商売をするのも、みんな親のためだ、おれは何もかも知っている」
「は、はい」
「だからさ、おれの云うことを聞いて、今日かぎり、きれえさっぱりと足を洗ったらどうだ。こんなことが親御に知れたら、昔かたぎの左門さまじゃ」
「わたしも、それが」
「そうだろうとも」懐の紙入から金を出して、「まあ、此の金で、左門さまに袷《あわせ》でも買って著《き》せるがいい」
 お袖は直助の顔をしみじみと見た。
「すみません」
「なに、そんな遠慮はいらねえ、そのかわり、彼方《あっち》へ往って、ゆっくり話そう」
「でも、そればっかりは」
「いいじゃねえか、いつまでもそうつれなくするものじゃない」
 直助はお袖を引っぱるようにして室の中へ入った。其処へ宅悦の女房のお色《いろ》が顔を出した。
「お紋さん、ちょっと」
 お袖は困っているところであった。お袖はすぐ起って出て来た。
「なに、おばさん」
前へ 次へ
全39ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング