直助は飛び起きて雨戸を開けた。其処に一人の男が立っていた。
「これはどうも、つい置き忘れておりまして」
 直助は洗濯物を執って入ろうとして対手《あいて》に気が注《つ》くなり、のけぞるようにして驚いた。
「鬼《ゆうれい》だ、鬼だ」
 直助は家の内へ飛びこんで、ぴしゃりと雨戸を締めて押えた。お袖も驚いて出て来た。
「何処に、何処に鬼《ゆうれい》が」
 其の時外の男の声がした。
「わたしは鬼《ゆうれい》じゃない、此処を開けてくだされ。お眼にかかれば判ります」
 お袖が其の声を聞きつけた。
「どうやら、聞きおぼえのある声じゃ」
 直助が手を揮《ふ》った。
「いけねえ、それが鬼《ゆうれい》じゃ」
「それでも」
 お袖は首をかしげながら起きて往って雨戸を開けた。外の男は与茂七であった。
「おや、おまえは、与茂七さん」
「お袖か、わしは、おぬしの所在を探しておったが、かわった処で、はて面妖《めんよう》な」
「わたしよりおまえさんは、いつぞやの晩、観音裏の田圃道で人手にかかって」
「あれか、あれなら奥田庄三郎だ。彼《あ》の晩、おめえと別れて、庄三郎に逢い、すっかり衣裳をとりかえた」直助の方を見て、
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