落とさずに時節を待つがいい、きっと俺が讐《かたき》を打ってやる」
 お袖は手酌で一ぱい飲んでそれを直助にさした。
「さ、一つ飲んでくださんせ」
 直助は盃を執ってお袖に酌をしてもらった。
「これは、御馳走。それにしても女の身では、酒でも飲まずにはいられまい、他人のおれでさえ」
「其の他人にせまいために、女のわたしからさした盃」
「そうか」
「もし、もう祝言はすんだぞえ、親と夫の百ヶ日、今日がすぎれば、今宵から」
「そんならおぬしは」
「操を破って操をたてるわたしが心」
 二人は立ててある屏風の中へ入ったところで、表の戸をとんとんと叩く者があった。直助が頭をあげた。
「何人《たれ》だ」
 声に応じて外から男の声がした。
「すまねえが、線香を一|把《わ》もらいたい」
 直助は忌《いま》いましかった。直助は吐きだすように云った。
「気のどくだが、品ぎれだよ」
「それなら、此処にある樒《しきみ》でけっこうだ」
「だめじゃ、そりゃ一本が百より安くはならねえ、他へ往って買わっしゃるがいい」
 外の男はちょっと黙ったが、すぐあわてて声をたてた。
「あれ、あれ、盗人《ぬすっと》が洗濯物を持って往くわ」
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