れさ、これさ」
「なるほど、これは。だがこなたの巻きぞえをくってはならぬから、遠国に往くつもりでござる、どうか路銀を」
「やろうにもくめんがつかぬ」
「くめんがつかねば、訴え出ようか」
「さあ、それは」
伊右衛門はしかたなしに母親からもらっている墨付を長兵衛にやって帰し、それから竿をあげて帰りかけた。と、前の流れへ杉戸が流れて来たが、それが不思議に立ちあがったので、かけてあった菰《こも》が落ちた。其処には水で腐ったお岩の骨ばかりの死骸があった。伊右衛門は恐ろしいので杉戸を前へついた。杉戸は其のひょうしにばったりと裏がえしになった。裏には首へ藻のかかった小平の死骸があった。
九
お袖は山刀を持ってせっせと樒《しきみ》の根をまわしていた。其処は深川法乗院《ふかがわほうじょういん》門前で俗に三角屋敷と云う処であった。お袖は直助といて線香を売っているところであった。
淡い冬の夕陽のふるえている店頭には、物干竿にかけた一枚の衣服《きもの》が風にひるがえり、其の傍の井戸端には盥《たらい》があって、それにはどろどろになった女物の衣服が浸けてあったが、それは金子屋《かねこや》と
前へ
次へ
全39ページ中27ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 貢太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング