《いりあい》の鐘がわびしそうに響いて来た。深編笠《ふかあみがさ》に顔をかくした伊右衛門は肩にしていた二三本の竿をおろして釣りにかかった。
 傍には鰻掻《うなぎかき》になっている直助がいて、煙草を飲みながら今のさき鰻掻にかかって来た鼈甲《べっこう》の櫛を藁で磨いていた。伊右衛門はそれを見て、煙草を出して火を借りようとした。
「火を借してもらいましょう」
 直助はすまして煙管《きせる》の火を出した。
「お点けなされませ」そして笠の中を覗いて、「伊右衛門さんお久しゅうござります」
 伊右衛門は驚いた。
「そう云うてめえは、直助か」
「其の直助も、今では鰻掻の権兵衛」
 話のうちに標《うき》がびくびく動きだした。伊右衛門はそれと見て竿をあげると小鮒《こぶな》がかかっていた。
「ああ、鮒か」
 其のうちに他の標が動きだした。
「そりゃ、またかかった」
 伊右衛門は調子にのって大きな声をしながらあげた。それには鯰《なまず》がかかっていて草の上へ落ちた。伊右衛門はあわてて傍にあった卒塔婆《そとうば》を抜いて押え、魚籃《びく》に入れるなり卒塔婆を投げだした。卒塔婆は近くに倒れて気を失っていた女乞食の前
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