て、荒涼とした四辺の風物を見せていた。埋葬が終ると李夫は皆にすこしずつの銭をやった。
「おれは、跡をきれいにしてけえるから、おめえだちはさきへけえっとれ」
棺舁の姿が見えなくなると、李夫は脚下《あしもと》に置いてあった鋤《すき》を把って、今かけたばかりの棺の上の土を除けはじめた。李夫は棺の中へ入れてある首飾などに眼をつけているところであった。李夫の頭にはそれが三百金の価のあるものとなっていた。
土を除くと、鋤の頭で棺の一方をとんとんと叩いた。すると葢《ふた》は苦もなく開いた。李夫は葢をする時に、既に釘をそこここはぶいてあったのであった。
李夫は片膝をついて蹲《しゃが》みながら中へ手を入れ、秀英の頭の方と思われるところを探った。首飾らしいものがそこにあった。李夫は喜んでそれを引きだして月の光に透して見た。確かにそれは金と銀とでこしらえた首飾であった。夫人の入れたものはその他にもまだたくさんあった。李夫はまた手を入れて探った。その手に死人の顔らしいものが触れた。李夫はぞっとして手を引いたが、そのひょうしに肱が棺の縁に当ったので、その手はまたしたたか死人の顔に当った。と、怪しいうなるような声がそこから起った。李夫は死人の鬼《ゆうれい》がでたと思った。彼は後へとびすさるなり人家のある方へ逃げて往った。
唸り声をたてたのは世高であった。彼はこの時になって体の痛みを感ずるとともに、意識がかえってきたのであった。彼はそうして眼を開けた。月の光のほのかに射した狭い箱のようなものの中に、寝かされている自分に気が注いた。彼は体の痛みをこらえて自分とぴったり並んでいるものを見た。それは若い女であった。箱の上のほうには樹木の枝の動いているのが見えた。
そこはどうしても野の中である。世高はそこで自分が樹から墜ちたことを思いだした。女の顔は秀英であった。彼は自分が仮死したため、女も自分の後を追ったので、二人いっしょに葬られたのではないかと思いだした。彼は苦しい体を起して立った。それは確かに墓畔《はかば》で自分たちは棺の中へ入れられているところであった。葢の除《と》れているのは不思議であったが。
世高は不思議に蘇生したことはうれしかったが、秀英が死んでいることを思うと生きているのが苦しかった。彼は蹲んで秀英の体を抱きあげてその顔を覗きこんだ。彼はそうしてその死因をたしかめようとした。その秀英の鼻孔《はな》のあたりに微かな気息《いき》があるように感じられた。世高は耳のふちに口をつけてその名を呼んだ。
女はやっと眼を見ひらいた。秀英は蘇生したのであった。二人は手を取りあって泣いた。
世高と秀英の二人は機の熟するまで迹《あと》をくらますことにした。そこで棺には葢をして、もとのとおりに土を被せ、棺の中に入れてあった首飾などを持って、その夜、月の下を運河の岸に出て、そこから舟を雇うて世高の故郷の蘇州へ往った。
世高の両親はとうに没くなって、他に兄弟姉妹《きょうだい》もないので、世高は何事も思いのままであった。彼は蘇州の我家へ帰るなり秀英と華燭の典をあげた。
そうして二人がいるうちに紅巾《こうきん》の賊乱が起った。それは至正の末年で、天子は元順帝《げんじゅんてい》であったが、杭州の劉万戸が人才であるということを聞いたので、それを用いることにして呼んだ。
劉万戸はそれを好まなかったが、辞することもできないので、夫人を伴れて京師へ向ったところで、張士誠という乱賊が蘇州に拠って劫掠《ごうりゃく》をはじめていた。それがために途が塞がって進むことができなかった。しかたなしに呉門という処に宿をとって滞在していた。
その時世高と秀英の二人も、やはり張士誠の軍士の城内に侵入するのを避けて、群集に交って呉門まで逃げて往ったが、一軒の宿を見つけて入ろうとしたところで、劉万戸に似た老人がその入口に立っていた。秀英がそれを見て世高に囁いた。
「あれは、お父様ですよ、どうしてここにいらっしゃるのでしょう」
そこで世高は劉万戸の前へ往った。
「先生は杭州の方ではございませんか」
それは確かに劉万戸であった。世高はひっかえしてそれを秀英に囁いた。そして、二人は別室へ入ったが、秀英は母に遇いたいので、世高の止めるのも聞かずに、その夜両親の室の前へ往って泣いていた。
劉万戸夫婦は女の泣声を聞きつけて、秀英の声に似ていると言っていたが、とうとう起きてきて扉を開けた。そして、夫人は秀英の姿を見てもしや鬼《ゆうれい》ではないかと思ったが、懐かしいので抱きかかえた。
劉万戸は人をやって、天笠山麓《てんりゅうざんろく》の墓をあばかしたところで、中には何もなかったので、はじめて世高と秀英の詞《ことば》を信用した。
そして、皆でそこに滞在しているうちに、張士誠の軍が敗れて、路がや
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