できた。それに自分のために世高が死んでいるのに、自分独りが生きてはいられないと思った。彼女は鞦韆の索を枝に結えなおして泣いた。

 了鬟《じょちゅう》の春嬌はねぼうであったし、その晩は早くから秀英の許可を受けて寝ていたので、変事のあったことは知らなかった。それに毎朝秀英に起されて起きるようになっている春嬌は、その朝は起してがないのでいつまでも眠っていると、夫人が秀英の顔を洗う湯を取って楼上へあがってきた。
 春嬌はその夫人の声ではじめて眼を覚ました。夫人は春嬌にこごとを言ってから秀英の臥牀《ねどこ》へ往った。臥牀には秀英の姿が見えなかった。夫人はそこで春嬌に秀英のことを訊いたが、春嬌には判らなかった。
 夫人は下へおりて往った。花園の中の棲雲石の上には若い男が横たわっており、老樹の枝には秀英が縊《くび》れていた。夫人は狂人のように走って往って、秀英の体を抱きあげた。
「早く、これを、これを」
 春嬌もそれとみて傍へ走って往ったが、どうしていいか判らなかった。夫人は春嬌を叱りとばしてその索を解かし、秀英を下へおろして体を撫でたり、口に気息《いき》を吹き込んだりしたが蘇生しなかった。
 夫人は泣きながら自分たちの寝室の中へ入って往った。そこには夫の劉万戸がまだ寝ていた。劉万戸は夫人から凶変を聞くと、顔色を変えてとび起き、そそくさと花園へ駈けつけた。
 花園には若い男と自分の女《むすめ》が醜い死屍《しがい》を横たえていた。劉万戸は自分の頭へ糞汁をかけられたような憤《いかり》をもって、その死屍を睨みつけていたが、ふと二人の関係が知りたくなった。傍には春嬌が蒼い顔をして立っていた。
「春嬌、きさまが知っているだろう、さあ言ってみろ」
 春嬌はおどおどしていたが、黙っている場合でないと思った。
「私は、私は、すこしも存じません、それは施十娘がしたことでございます」
 劉万戸は後になってつまらんことを聞いてもしかたがないから、早く死骸の始末をしようと思いだした。それにしても名も素性も判らない男の死骸の始末には困ったのであった。彼は夫人を見て言った。
「これの死骸はいいとして、その男の方はどうしたものだろう」
 劉万戸はそこで施十娘のことを思いだした。
「いずれにしても、あの婆を呼んでこい、施十娘を呼んでこい」
 劉万戸の命令は春嬌の口から家人へ伝えられた。二人の家人は走って施十娘の店へ往った。
 夜の内に帰るはずの文世高が帰らないので、朝早く起きて裏門口へ容子を見に往ったりしていた老婆は、劉家の使に接して心が顫えた。しかし、病気でもないのに往かないわけにゆかないので、おそるおそる使の者に随いて往った。
 使の者は老婆を花園の方へ導いた。そこには夫人が泣きながら立っていた。
「お婆さん、お前さんは、よくもうちの児《こども》を殺してくれたね」
 老婆は文世高の忍び込んだことが顕われたと思った。
「奥様、私は何も存じません、ただ文世高とお嬢さんが、想いあって、詩のやりとりをしておったことは知っております」
「お婆さん見てやってくださいよ、うちの児はこんな姿になりましたよ」
 棲雲石のそばには二つの死骸が見えて劉万戸が立っていた。老婆はふらふらその傍へ往った。血の気を失った文世高の顔、秀英の顔。老婆は心から悲しくなって泣きだした。その老婆の耳へ劉万戸の声が聞えてきた。
「佳いことをしでかしてくれて、泣いてもらうにはおよばないよ、だが、しかし、もう、なんと言ってもおっつかない、それよりは他へ知れないように、この二つの死骸の始末をしなくてはいけない、小厮《やといにん》にも知らさずに、そっと始末したいが、なんか婆さんに佳い考えはないかな」
 老婆はもう泣くのをやめていた。
「それは、わけはありません、私の姪《おい》が棺屋をしておりますから、李夫《りふ》といいますが、あれに二人入る棺をこしらえさして、夜、そっと持ちだして葬ったら、何人にも知らさずにすみますよ」
 劉万戸は夫人と相談して施十娘に三十両の銀子をわたした。施十娘はその金を持って姪の許へ往って耳うちした。
 そこで棺屋の李夫は、急いで大きな棺をつくり、二三人の者にそれを舁《かつ》がして、その日の黄昏時《たそがれどき》、劉家の裏門へ忍んで往くと、門口には春嬌が待っていて戸を開けて内へ入れた。
 そして、棺は家の内へ運ばれたが、ひとまず棺舁《かんかつぎ》どもは外に出されて李夫が一人残り、そこにあった男女二人の死骸を棺の中へ収めた。収め終ると、夫人が泣く泣く秀英の首飾や花簪児の類を持ってきてその中へ入れた。李夫はその容《さま》を盗むように視ていた。
 やがて棺桶は持ちだされて、天笠山《てんりゅうざん》の麓へ運ばれ、同地の風習に従って軽く棺の周囲《まわり》に土を被せかけて葬られた。
 そこには月の光があっ
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