ので、其処へ宿を頼みに往くということはあまり苦にもならなかった。
杜陽は小座敷の前へ往って中を覗き込みながら扉《と》を叩いた。
「もし、もし、しょうしょうお願いいたします」
中から年とった男の声がした。
「何人《だれ》だ、何人だ、この夜更けに、何の用だ」
杜陽は言った。
「壑の中へ墜ちて、困っておる者でございます」
「なに、壑の中に墜ちて困ってる」
中の声は驚いたように言ったが、それといっしょに扉が開いて髪の長い痩せた男が顔をだした。
「壑へ墜ちたって、それじゃお前さんは、他《ほか》から来たのじゃな、どうして、ここへ来られたのじゃ」
「この山の上の道をあるいておりますと、虎が出てきて僕を噛もうとしましたから、逃げようとする拍子に、足を踏みそこなって、この壑の中へ墜ちましたが、運好く落葉の上へ墜ちましたから、すこしも怪我はしませんでした」
痩せた男は何か思いだしたようにして眼を瞠《みは》った。
「それじゃ、あなたは、杜陽さんでございますね」
杜陽は驚いた。
「どうして、それが判ります、私は杜陽ですが」
「家《うち》の旦那様が、あなたのいらっしゃるのをお待ちかねでございます、さ
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