ずる書を作って従僕を帰した。陳の家では洞庭で舟が覆ったということを聞いて、妻子はもう一年あまりも喪に服していたが、従僕が帰ったので、はじめて死んでいないことを知った。しかし家からは音信することができないので、終《つい》に他郷に漂白して帰ることができないだろうと心配していたが、それから半年ばかりして陳が不意に帰ってきた。肥えた馬、軽い裘《けごろも》、ひどく立派な旅装をしていたが、嚢中《のうちゅう》には宝玉がみちていた。
陳の家はそれがために巨富の富ができた。陳はそれから豪奢な生活をはじめたが、旧家の人もそれには及ばなかった。七八年の間に五人の児を生んだ。陳は毎日賓客を招いて饗宴を張ったが、室から料理から豊盛の極を尽していた。陳に向ってその境遇のことを訊く者があると、すこしも忌《い》み憚《はばか》らずに話した。
陳の幼な友達に梁子俊《りょうししゅん》という者があった。南方へ往って官吏をしていて、十余年目に故郷へ帰ってきたが、洞庭を舟で通っていると、一艘の画舫《がぼう》がいた。それは檻《てすり》に雕彫《ちょうこく》をした朱の窓《まど》の見える美しい舟であったが、中から笙に合せて歌う歌声が
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