と風に吹かれるようにして自分で帰って往った。寇の父親は祝のために大きな屋敷を作ってくれたが、祝は一回も寇家へ往かなかった。
某時《あるとき》、村で水莽の毒に中《あた》って死んだ者があったが、死んで間もなく蘇生した。村の者はそれを不思議がった。すると祝が言った。
「あれは、わしが活《い》かしたのだ、あれは李九の魅であったが、わしがその鬼を追いのけたのだ」
それを聞いて祝の母が言った。
「お前も、何故、人を取って生れ代らない」
「私は、こんなことをする者に対して恨みがあるのですから、そんな奴を皆追いのけてしまいたいのです、くだらんことをしたくないのです、それに私はこうしてお母さんにつかえていれば良いのです、生れ代りたくはないのです」
それから村で水莽草の毒に中る者のあった時には、御馳走を供えて祝を祭ると徴《しるし》があった。そして、十年あまりして祝の母が亡くなった。祝夫婦はひどく悲しんで葬式をしたが、他の客には姿を見せなかった。ただ、児に※[#「糸+衰」、第4水準2−84−50]麻《もふく》を着せて、葬式の礼をおこなわした。そして、児には礼儀を教えた。
祝夫婦は母を葬ってから、二年
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