たが、怪異はどうしても鎮まらないで女房が病気になったところへ、四月八日、芝《しば》の増上寺《ぞうじょうじ》の涅槃会《ねはんえ》へ往っていた権八郎がその夜|霍乱《かくらん》のような病気になって翌日歿くなり続いて五月二十七日になって女房が歿くなった。伊右衛門はお染に源五右衛門《げんごえもん》と云うのを婿養子にしたところで、その年の六月二十八日、不意に暴風雨が起って雷が鳴り、東の方の庇《ひさし》を風に吹きとられた。伊右衛門はしかたなしに屋根へあがって応急の修繕をしようとしたが、足を踏み外して腰骨を打って動けなくなったうえに、耳の際を切った疵《きず》が腐って来て膿《うみ》が出るので、それに鼠《ねずみ》がついて初めは一二匹であったものが、次第に多くなって防ぐことができないので、長櫃《ながびつ》の中へ入れておくうちに七月十一日になって死んでしまった。
 田宮の家では源五右衛門が家督を相続したが、そのうちにお染が病気になった。年は二十五であったと記録にある。そのお染が歿くなってから源五右衛門は、家についている怪異が恐ろしいので、己《じぶん》の後へ養子をして別居しようと思っているうちに、邸《やしき》の
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