声をかけるつもりで戸に手をかけてみた。戸はがたがたと軋《きし》りながら開いた。元振は中へ入った。明るい燈火がその室にも点《つ》いていたがやはり人はいなかった。
「もし、もし、すこしお願いいたしたいのですが」
 元振は大声をした。それでも応もなければ人の出てきそうな気配もない。元振は首を傾《かし》げて考えたが意味が判らなかった。
「何人《どなた》もいらっしゃらないのですか」
 元振はまた言って暫く立っていたが、依然として応がなかった。元振はいつまでも立っている訳にゆかないので、思いきって上へあがった。
 酒宴《さかもり》の準備《したく》をして数多《たくさん》の料理を卓の上へ並べた室が見えた。元振はその室の入口へ立って中を窺いた。そこにも人影がなかった。全体こうして酒宴の準備をしておいて、家内の者はどこへ往ったのだろう、ついすると次の室へ集まって、酒宴の前に何か話でもしているかも判らないと思った。彼はその室へ入らずに廊下のような処を通って次の室へ往った。
 力のない声で泣いている泣声が聞えた。元振はちょっと立ちどまって耳を傾げたが、中へ入って容子《ようす》を訊いてみようと思ったので、入口へ
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