採っていいかと云う考えはちょっと浮ばなかった。と、金山寺の法海禅師の云った偈の句が浮んで来た。それと同時に再び※[#「薛/子」、第3水準1−47−55]畜《ちくしょう》に纏《まと》われたなら、湖南の浄慈寺にわしを尋ねて来いと云った法海禅師の詞《ことば》が浮んで来た。彼はそれに力を得て浄慈寺の方へ往った。
 浄慈寺には監寺《かんじ》の僧がいた。許宣は監寺に法海禅師のことを訊いた。
「法海禅師にお眼にかかりたいのですが」
「法海禅師は、一度もこの寺へいらしたことはないです」
 許宣は力を落して帰った。そして長橋《ちょうきょう》の下まで来た。許宣はこれからどうしていいか判らなかった。彼は湖水の水に眼を注《つ》けた。俺が一人死んでしまえば、何人《たれ》にも迷惑をかけないですむと思いだした。彼の眼の前には暗い淋《さび》しい世界があった。彼はいきなり欄干に足をかけて飛びこもうとした。と、後から声をかける者があった。
「堂々たる男子が、何故《なにゆえ》生を軽んじる、事情があるなら商量《しょうだん》にあずかろうじゃないか」
 そこには法海禅師が背に衣鉢《えはち》を負い手に禅杖を提げて立っていた。許宣は
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