「さあ、どうかお入りください」
 白娘子は体を動かそうとした。許宣がその前に立ち塞《ふさ》がった。
「こいつを家の中に入れては駄目です、こいつが私を苦しめた妖怪です」
 白娘子は小婢の方を見て微笑した。王主人は女のそうした※[#「女+朱」、第3水準1−15−80]なやさしい顔を見て疑わなかった。
「こんな妖怪があるものかね、まあ宜い、後で話をすれば判る、さあお入りなさい」
 許宣は王主人がそう云うものを己《じぶん》独《ひと》りで邪魔をするわけにもゆかないので、己で前《さき》に入って往った。白娘子は小婢を伴れて王主人に随いて内へ入った。家の内では王主人の媽々《にょうぼう》が入って来る白娘子のしとやかな女ぶりに眼を注けていた。白娘子は媽々におっとりした挨拶《あいさつ》をした後に、傍に怒った顔をして立っている許宣を見た。
「私は、あなたにこの身を許しているじゃありませんか、どうして、あなたを悪いようにいたしましょう、あの銀《かね》は、今考えてみますと、私の前の夫です、私はすこしも知らないものですから、あなたにさしあげてあんなことになりました、私はこれを云いたくてあがりました」
 許宣にはまだ一つ不思議に思われることがあった。
「臨安府の捕卒が往った時、あなたは牀の上にいて、大きな音がするとともに、いなくなったじゃありませんか、あれはどうしたのです、おかしいじゃないか」
 白娘子は笑い声を出した。
「あれは婢に云いつけて、板壁を叩かしたのですよ、その音で捕卒がまごまごしてよりつかなかったから、その隙《すき》に逃げて、華蔵寺《かぞうじ》前の姨娘《おばさん》の家にかくれていたのです、あなたはちっとも、私のことなんか考えてくださらないで、あべこべに私を妖怪だなんて云うのですもの、でも、私はあなたの疑いさえ解けるなら宜いのです、これで失礼いたします」
 白娘子は小走りに走って外へ出ようとした。王主人の媽々があわてて走って往って止めた。
「まあ、遠い所をいらしたのですから、二三日お休みになって、もっとお話しするが宜いじゃありませんか」
 白娘子は引返しそうにしなかった。小婢がそばから云った。
「奥さん、御親切にあんなに云ってくださいますから、もすこしお考えなすったら如何《いかが》です」
 白娘子は小婢の方を見た。
「でも、あの方は、もう私なんかのことは思ってくださらないのですもの」
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