たなと思って、ちょと惜しいような気がした。数日して藤坂上の友人に聞くと、水戸邸の遺物として残っているのは、その塀と涵徳殿と後楽園の入口にある二棟の土蔵とであったが、その涵徳殿も土蔵も潰れたとのことであった。
私は土塀の崩潰を惜しむとともに、藤田東湖のことをすぐ思い浮べた。色の黒い※[#「鹿/(鹿+鹿)」、第3水準1−94−76]野《そや》な顔をした田舎武士は、安政乙卯の年十月二日の午後十時、かの有名な安政の大地震に逢って、母を救い出そうとして家の中へ入ったところで、家が潰れて圧死した。私は東湖のことから新井白石を連想した。「折たく柴の記」によると、白石は元禄癸未の年十一月二十二日の夜大地震に逢ったので藩邸へ伺候した。白石はそのころ湯島に住んでいたが、家のうしろは高い崖になっていた。その白石の家は二十九日の夜になって火に逢った。白石は庭に坑を鑿《ほ》って書籍を入れ、畳を六七帖置いて、その上に土を厚くかけてあった。
「安政見聞誌」三冊を書いた仮名垣|魯文《ろぶん》のことも浮んで来た。魯文は湯島の妻恋下に住んでいた。魯文の住んでいた家は、二人の書肆が醵金して買ってくれたもので、間口九尺二間
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