焼死者を出したという恐ろしい噂がきれぎれに耳へ入った。その火には朝鮮人がいて爆弾を投じていると言う者もあった。
 翌日私は本郷の西片町へ往って、そこの友人と一緒に本郷三丁目の方へと往った。その三丁目の本郷座に寄った方の角に、一二軒の家を残して湯島天神のあたりから神田明神にかけて焼けているのが煙雲を透して見えた。そこここに立っている焼け残りの土蔵の屋根などには、まだ火のあるのがあってそれからは煙を吐いていた。私たちはそれから壱岐坂《いきざか》へおりる路と平行した右側の焼け残った路を往って、順天堂のあたりから水道橋の手前まで一撫でにした火の跡を見て引き返した。
 私はその友人と真砂町の電車停留場で別れて、そのまま電車通りを歩いて春日町の停留場を通り、それから砲兵工廠に沿うて坂路をのぼった。火に包まれていた砲兵工廠もこちらの方は焼けなかったと見えて無傷の建物が聳えていたが、煉瓦塀は爆破したように砕けて崩れていた。坂をあがり詰めて右に折れ曲ったところが砲工学校の塀であった。瓦と土とで築いた水戸邸の遺物としての古い古い塀も、ばらばらに崩れていた。私はそれを見て、水戸屋敷の記念物もとうとうなくなっ
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